【日本ちょんの間今昔物語】 完全に壊滅したといわれる黄金町から今なお残る飛田新地まで…江戸遊郭を受け継ぐ伝統の色街探訪(前編)

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江戸時代には公認事業として認められていた本番風俗。そんな遊郭の流れを受け継ぎ、現代まで男たちの股間を慰め続けたのがちょんの間だ。ところが最近では各地で大規模な摘発が相次いで、既に壊滅した場所も増えている。全国の裏名所の今を追った!(前編)

摘発を受けた豊平会館 函館セキセンも風前の灯

◯【北海道】 ススキノに近く人気だった豊平だが…

 遊郭を起源にもつちょんの間も、北海道では明治に入って開拓の歴史と共に始まった。新天地を求めた男たちに女が必要なのは、江戸開府後ほどなく吉原が成立したのと同じ事情だった。その遊郭の場所はいわずと知れた札幌・ススキノだ。

 性風俗に対して大らかだった江戸期と違って、とかく外国の顔色を伺う政府によって遊郭は変遷をとげ、昭和期には赤線(または青線)となり、昭和33年の廃止までは全国に存在していた。

再開発で寂しく孤立したセキセン、今ではかえって妖しげな雰囲気に包まれている

再開発で寂しく孤立したセキセン、今ではかえって妖しげな雰囲気に包まれている

 サッチョン族と呼ばれる札幌在住の独身男性にとって、ススキノが北の天国であるのは現在でも変わりない。巨大ビルのテナントが全てヘルスといった土地柄の札幌では本番遊びには事欠かないが、そんななかでも会館といえば遊び好きが一目おく場所だった。

 ススキノ交差点から歩いても10分少々でたどり着ける豊平川のほとりに建つ2棟の建物にスナックがひしめく。ガラス越しに女のコの姿が拝め、気に入れば連れ出して隣接するラブホテルでイタすというシンプルなシステム。実際に女のコのルックスが対面で確かめられて、しかもキャバ嬢クラスのコが在籍していた人気の歓楽スポットだった。

 サッチョン族が闊歩する札幌はよもや摘発とは無縁と思われたが、5年ほど前に突然手入れが入り、ラブホと共に営業停止となってしまった。ラブホの方は間もなく再開したが、会館は2棟ともシャッターが閉じられて煌めいた灯は消えたままとなった。看板などの撤去はされていないが、再開も見込めないという。実に惜しまれてならない北のちょんの間だ。

函館駅前広場から飲食店をたどりながら歩いて行けたセキセンも、かつては店数が多いので女のコが通りで直引きしていた

函館駅前広場から飲食店をたどりながら歩いて行けたセキセンも、かつては店数が多いので女のコが通りで直引きしていた

 これまで観光に力を入れている地方自治体は概して風俗に寛容だったが、近年のコンプライアンスの順守、女性市民の意向を汲んでか排除の動きにつながってきている。やはり北海道新幹線の開業が、裏風俗の締め出しに繋がったようだ。

 また、札幌についで若いコが在籍して人気のあったちょんの間・函館セキセンも数軒が細々と営業しているだけで、最後の日も遠くないと言われている。

 セキセンとは赤線のことで古くから賑わったちょんの間街だったが、新幹線の延伸にともなう函館駅周辺の再開発で、店や住居が移転して更地の目立つエリアとなってしまった。ところがその肝心の新幹線は函館駅には乗り入れず、隣接する北斗市に新たな駅を開業してしまったのだから、再開発とは何であったのか考えさせられる。

すぐ隣りのラブホに連れ出せた豊平川の会館。一発ヤッた後、すぐに戻って他のコと遊んだのも懐かしい思い出だ

すぐ隣りのラブホに連れ出せた豊平川の会館。一発ヤッた後、すぐに戻って他のコと遊んだのも懐かしい思い出だ

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