ニッポンのソープランドが世界に誇る『FUZOKU』へと成長を遂げた理由とは…? その驚愕の歴史を振り返る【ソープランド進化論!!】(前編)

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日本の風俗の歴史を振り返る上で、外せないのがトルコ風呂(現ソープランド)である。経営者、従業員、そして主役である嬢たちが生み出していった性技は、世界的スターをも虜にしていった。そんなトルコ風呂の歴史を振り返っていく!(前編)

数々の世界的著名人もトルコ風呂の魅力に…

 戦後のフーゾクの流れも赤線の時代から1958年の売春防止法の施行を経て新しい時代を迎える。それが世界にも冠たる令名を馳せたトルコ風呂による時代である。

 ただし、ここで注意すべきはトルコ風呂という名前が使えなくなってから考案された代用の名称であるソープランドは、似て非なる存在であるということだ。そのため戦後のフーゾクの流れを語るときにはどうしても〝トルコ風呂〟という単語を、周囲に断ってでも使わざるを得ないのである。

 両者のどこが違うか…それはいろいろある。なかでも大きいのは仕事内容に取り組む姿勢について眺めてみるとよく分かる。トルコ風呂では技術革新というか、イノベーションという作業が日常茶飯事のように付いて回っていて、それが最重要事項でもあった。

創業40年以上の実績を誇る某ソープランドチェーン。吉原にある本店は威風堂々とした店構えだ

 つまり、何か新しいテクニックはないだろうか、何か面白い遊び方はないだろうか…など、このようなことを店の経営者も従業員も、いや現場の女の子たちまでもが考えていた。それが余所との差をつけることであって、自分の収入を伸ばすことにも結びついていた。

 トルコ風呂と技術革新。これがあればこその世界にまで鳴り響いた名声なのである。古い話だがフランスの映画スターのアラン・ドロンが吉原で、米大リーグの強打者バリー・ボンズが新宿でトルコの魅力にドップリと嵌ってしまったのもうべなうところだ。というわけで、かつてのトルコ風呂のイロイロな技術革新ワザを眺めてみることにしよう。

 健全なレジャー施設として1951年にスタートを切ったトルコ風呂は、当初エッチサービスは全くなしのトルコ嬢によるマッサージサービスだけのものであった。それこそ彼女たちのお尻にタッチするだけでもドヤされたものだ。

 それが、わずか出現以来2年もしないうちに、浅草にあったトルコにお勤めの朱雀嬢によってムスコをシコシコしてくれる通称〝オスペ〟によって性的サービスが始められたのである。まだ公娼制度廃止間もないこの頃は、性交渉を前提とするサービスにはお上もナーバスな時期であって、せいぜいがムスコを弄うぐらいのことからしか技術革新は始められなかった。

 朱雀嬢の考案したオスペは、コールドクリームを潤滑剤として使う単純なサービスだったのだが、それでも店の前にはズラリ行列ができるほどの人気を博した。

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