手コキ屋の元祖は意外にもあのお店?!「オスペ」から「ダブル」そして「手コキ 」へ…手コキ風俗の源泉をたどる【松本雷太のニッポン風俗史講座 第10回「手コキ風俗の歩み」】

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世界に名立たるニッポンの『フーゾク』は、世界で唯一進化し続けているオンリーワンの存在だ。そんな日本の風俗史を探る第十回は『手コキ系風俗の歩み』をたどる!

松本雷太のニッポン風俗史講座
第10回「手コキ系風俗の歩み」

美女が集まるから客も集まる。しかも安ければ人気も上がるといいことづくめ

喫茶店大サービス ノーパンから手コキ

◯元祖手コキ屋は意外にもあの…

 ライト風俗の雄とされる「手コキ」。果たしていつからそんなサービスが始まったのか? それは、知っているようで知らない、旧トルコ風呂のサービスが原点だった。

 本誌読者であれば、「オスペ」という言葉は聞いたことあるだろう。昭和34年前後に流行った風俗用語で、「スペシャル」に「お」を付けて短縮した言葉だが、それこそが旧トルコ風呂に於ける手コキサービスのことである。

 現代では即々も生中出しもできる、最高峰の風俗カテゴリーも、当初はマッサージメインで、ヌキはあくまでも「スペシャル」なオプションだったようだ。

ノーパン喫茶+手コキの複合店から現代風俗は始まった

オスペを抜きにトルコ風呂は語れない

◯オスペから手コキへの変遷の経緯とは?

 当時のトルコ風呂の状況を風俗研究家の多々野平助氏に聞いた。

「昭和33年、売春防止法が発令されると赤線は廃止となり、吉原にできた『トルコ吉原』を筆頭に、続々とトルコ風呂業に参入する元赤線業者が急増したわけです。が、実は、それ以前もトルコ風呂は存在し、その多くがマッサージ付きの個室浴場でした。当初、元赤線地帯にできた『トルコ吉原』でもヌキは御法度だったようですが、昭和39年の東京オリンピックの頃には都内のトルコ風呂は約200軒に増え、競争と共に『オスペ』は当然となっていきました。他にも、手コキされながら女性の身体を触るのが『ダブル』、69スタイルのオスペが『逆さダブル』などと呼ばれていました」

 そしてその後、ライト風俗史を大きく変える店が新宿に誕生したのは1981年のことだった。ノーパン喫茶全盛の時代、新宿に誕生したのが、のぞき部屋「アトリエキーホール」だった。

 当時、すでに大阪ではのぞき部屋が複数開店していたと言われるが、前後関係はハッキリしていないようだ。

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