エロさと人情で昭和を駆け抜けた男女がいたことに、ノスタルジアを感じていただければ
昭和37年4月の夜、淫具屋の長岡修造は拳銃を乱射しながら津艶流女三味線師・中川奈緒子の手を取って、宵宮の神社舞台から忽然と消える。そして、警察とヤクザ者から追われる情慾の10年が始まった――団鬼六賞優秀作受賞者であり、近年は国際謀略、時代小説も手掛ける沢里裕二の最新刊『流恋情話―-昭和淫侠伝』(GOT官能小説倶楽部「悦」)。主人公の修造は男茎を模った“分身”を制作する淫具職人であり、ヒロインの奈緒子は陰部を晒しながら三味線を弾くことを生業としている。昭和の時代に、まっとうとはいえない道に生きるふたりのスリリングかつ情欲が迸る男女の逃亡劇。本作で沢里氏が描きたかったのは、「昭和の裏側」だという。
「映画の『オールウェイズ三丁目の夕日』やNHKの朝ドラで描かれる“明るい昭和”は、日本の青春像であり、太陽の下で貧しくても頑張っている人々が描かれています。しかし、同じ昭和でも陽の当たらない裏街道を歩いている人たちも大勢いた。僕はこっち側の人たちの生きざまのほうが生々しいと思うんです。昭和37年から47年は、僕が小学生から大学生だった時代。宵宮の屋台でトランジスタラジオから流れてくる村田英雄の『王将』に大人たちは活気を得て、中校生だった僕はビートルズの日本公演を観るために白黒テレビの前にかじりつき、若者たちの間ではグループサウンズが大流行りしていると同時に学生運動も盛んだった。けれども、そんな表の社会とは一切関係なく、世間に憚る稼業を営む淫具屋と色三味線師が、ヤクザに追われながら必死に生きようとする。当時、こんな男女って実際にいたと思います」
食うために働くことに多くの人々が必死だった昭和中期。修造も奈緒子も、日陰の稼業で糊口を凌いでいる。マイホームのためでも、自己実現のためでもなく、貧しい時代ゆえの、ただ生き伸びるために突き進む裏街道。そんなふたりの必死な姿に胸をつまされる。
「以前も『淫具他半兵衛(講談社文庫)』『満蜜殺法(コスミック時代文庫)』という時代官能小説作品で江戸時代の淫具屋について書いているんですが、女を悦ばせる品物を作る男から見える女性像や世間というものは、また違ったものではないかと考えて、今回の主人公にしました。修造は、女を悦ばすことを生きがいとして、女の味方として生きているということが、行動の基準になっています。奈緒子は、最初は浅学で意志のはっきりしない、囲われ女郎でしたが、修造から強く愛されることによって、徐々に逞しく狡猾な女性に変貌していきます。奈緒子の行動基準は、修造と共に生きることです」
互いを求めあいながらも、それぞれ別々の土地に逃げて潜伏生活を送る修造と奈緒子。SNSが世論を牽引し、スマホで男女が24時間繋がれるインスタントな現代において、主人公ふたりの行動様式は粗々しくある一方で、その覚悟と一途さには胸を打たれる。さらには青森、新潟、博多、大阪、函館、東京と、それぞれの土地ごとの昭和の原風景は、かつての時代を知らずともノスタルジックな気持ちを誘うとともに、ふたりが出会い、情を交わす人々もまた、魅力的だ。
「僕はかつてはレコード会社に勤務していたのですが、“芸能界とは親戚関係”といわれる水商売の方々と多く交誼を結んできました。また昭和の芸能界ですから裏社会と紙一重の人たちもたくさんいたわけです。自分とは異なる、もの凄い修羅場を踏んできた人たちですが、僕が知り合った人たちの多くは純情な人たちでした。僕が彼ら彼女らの“親戚筋にあたる業界”の人間だったせいかもしれません。真夜中のサパークラブで水嬢や風俗嬢たちと、わいわい飲み明かしていたものです。サパーで働く男と、明け方の吉野家で語り合ったり、一緒にゴルフをしたり。そういうところで知り合った人たちの、表社会とは違うエネルギー、挫折から這い上がる根性、人を見る観察力は、体裁ばかりのサラリーマン社会とは異なり、刺激になりました。今回の作品に出てくる修造と奈緒子が逃亡先で出会う人々の人情深さは、そんな夜職の方々がモデルになっています。表社会の人々には常に懐疑的ですが、いったん身内として受け入れた人には、無償の協力をする人たちです。いまでは失われつつある昭和の義理人情ですね」
たしかに昭和はもやは遠い。平成、そして令和になって世界は様変わりしたと誰もが知っているはずだ。性意識に関してもそうだと沢里氏は指摘する。
「あまりネタバレをするのもよくないとは思うのですが、ラストに令和のシーンを入れたのは、エロに対する時代の変化を表したかったのです。修造と奈緒子が生きていた時代、僕が知っている昭和では、アダルトグッズはあくまで、裏の稼業でした。堅気の女性が自ら手に入れるということはまずなかった。大抵は男側が楽しむために女に使い、使わせていたものだったと思います。でも、いまの10代、20代の女性は普通に買って使ってますよね。裏のものではなくなってきたし、明るくオナニーのことを話す。道具についても善し悪しを詳しく語ってくれる。淫靡だった昭和は遠くなりにけりですが、それでこそ、修造と奈緒子は報われるというものです」
とはいっても人の根幹の部分は変わらない部分もある。そのひとつが本作でもみっちりと濃厚に描かれている男女の性愛だ。ふたりの逃亡生活の唯一の彩りであり、心の拠り所ともなる色恋については、「官能小説」というジャンルに属する本作に相応しく、サービスたっぷり、作中にふんだんに登場するが、沢里氏はこうも主張する。
「性描写のバリエーションに重きを置き、あくまで性欲を掻き立てるのが、純然たるポルノ小説だとすれば、僕の書いているものはまったく違います。他に書きたい主題があって、それを官能、男と女の情交というアングルから描いています。というのも、行為の描写の精密さならば、動画には勝てません。それが簡単に見られなかった頃に、官能小説は妄想を掻き立てる道具として成立していましたが、もはやネットで簡単に観ることのできる時代に、そこは意味を持ちません。妄想力を掻き立てるならば、よりリアリティのある設定と心理描写の巧みさが必要でしょう。エロ小説がAVを超えられるとすれば、心理描写しかない。そこをうまく書ける作家が登場したならば、かならずブレイクすると思います。僕が団鬼六賞の優秀作をいただけたのは59歳。定年ぎりぎりの一年前です。だからこそ小説家を目指す方に申し上げます。とにかく好きなように書いて応募せよ!です。楽しく書いたなら、その小説は面白いに決まっている。逆に自分で書きながら飽きたら、それはボツ。あとは編集者との相性です。出会った編集者によってまた作家の運命も違ってきます。僕は気が付けば、ローテーション作家の仲間入りをして、会社勤めをしている場合ではなくなりました」
出版不況の中で、ますます縮小していく官能小説業界。それでもまだ沢里氏は生き残りの道はあるという。広告代理店、レコード会社、出版社、そして音楽プロデューサーと時代の最先端を走って来た沢里氏からのエールは、官能小説家志望者たちの励みになると同時に、自らの指針だけを頼りに、逞しく生き抜こうとする本作の登場人物たちからも活力を貰えるのではないだろうか。最後に読者にメッセージをいただいた。
「僕の小説では、発情しずらくて抜くのは難しいと思いますが、官能小説界には、さまざまな書き手がいます。百花繚乱の官能小説ですから、かならずピタリと好みが合う作家に出会うはずです。探してください。官能小説選びは、ナンパと同じです(笑)。そして『流恋情話―昭和淫侠伝』は抜きを目的としてではなく、小説として楽しんでもらえると幸いです。エロさと人情で昭和を駆け抜けた男女がいたことに、ノスタルジアを感じていただければ、と思います」
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(インタビュー:大泉りか)
『流恋情話―-昭和淫侠伝』