世界に名立たるニッポンの『フーゾク』は、世界で唯一進化し続けているオンリーワンの存在だ。そんな日本の風俗史を探る第二回は、『フェチ風俗の誕生』の秘話に迫る!
松本雷太のニッポン風俗史講座
第2回「フェチ風俗の誕生」
◯人はだれでもフェチを隠し持っている
「私がくすぐりに目覚めたのは小学校の頃です。友だち同士がふざけてくすぐりっこしてるの見てたらドキドキしてきちゃったんです。今ではちょっとくすぐられるだけでヌレちゃいます(笑)」
そう言うのは、渋谷にある『くすぐり宅配便』のYちゃん(23歳)だ。店はくすぐりフェチ御用達のデリヘルで、お客さんの7割以上はくすぐられている女のコの表情に快感を得るくすぐる側だ。フェラや素股もせず、自コキもしくは発射もせずに帰る場合が多いという。マニアにとって『フェチ』の快感は、発射以上の満足感なのだ。
風俗掲示板などに書き込まれている口コミを見ると、評価が低い書き込みは、その人のフェチ傾向とは毛色の違う店を選択したのでは、という場合を多く見受ける。たとえば、本番したいのにデリヘルに行き、「ナシだった」と嘆いても自業自得。本番したければ裏風俗やソープに行くべきで、
若いコが好きならちょんの間ではなく、デリヘルへ。痴漢ごっこに萌えるなら、普通のデリではなくイメクラだ。とりあえず抜いて満足しようと思っても、自分の奥底にある「フェチ」は満足しないのだ。
◯変態が芸術作品に!!世界が認めたフェチ
そもそも「フェチ」とは「フェティシズム」の略語で、本来の意味は「物神崇拝」や「呪物崇拝」と訳される。マ○コやチ○ポには興味を示さず、身体の他のパーツや身に着ける物に対して興奮する性癖のこと。精神分析学者フロイトは「性的倒錯」と表現し、いわゆる「変態」のひとつとも言われる。
産業革命後のヨーロッパで自然発生し、フロイトが論文『フェティシズム』(1927年)を発表したことにより、社会に広まっていった。
その後、第二次大戦終戦直後のイギリスで、雑誌『BIZARRE』が初めて、ラバー素材の装身具に身を包んだ愛好家の記事を掲載した。同年、カナダでもフェチ雑誌『Bizarre』で、脚フェチが紹介されている。
日本でフェチの先鞭を付けた作品は、谷崎潤一郎の『刺青』(1910年)だと言われている。時系列で見ると、フロイトの論文より15年以上も前のことである。谷崎はその後も、『富美子の足』(19年)や『瘋癲老人日記』(61年)でフェチを表現しているが、「フェチ」に値する言葉を見いだすことはなかった。
つまり、ヨーロッパから日本に入って来たのは「フェチ」と言う名称だけで、日本人のDNAにフェチの素養は元来盛り込まれていたということ。ただ、それを恥ずかしいことと感じて隠していただけで、読者諸氏にも同じことが言えるに違いない。
ちなみに、筆者のフェチの萌芽は小学生の頃のスカートめくりである。それ以来パンティーの中身より、パンチラや浮き出たメコスジに興味をそそられている。まさに、イメクラ好きの原点であろう。
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