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谷崎潤一郎が先鞭をつけたとも言われる『フェチ』魂は、古来日本人のDNAに刻まれていた!?【松本雷太のニッポン風俗史講座 第2回「フェチ風俗の誕生」】

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フェチを満足させてこそ
本当の快感が得られる

 

◯マニアとメディアがフェチを世界に

「日本でフェチが認識されたのは80年代で、90年代に入ると『パンストフリーク』なんかの専門誌が刊行されるようになったんです。マニアは自分たちが望んでいた本が出たと喜んで、『靴ですか、革ですか?』なんて会話をするようになったんです。フェチは、マニアとメディアの相乗効果で広まったというわけです」

 そう解説するのは、日本のフェチ第一人者であるマニアAV監督のラッシャーみよし氏だ。

「SMクラブだって戦後からあったんです。たぶん、谷崎(潤一郎)も通ってたんでしょうね。80年代までは会員制で閉鎖的で、今より敷居が高かった。そこで、トルコ風呂(現ソープランド)が利用されることも多かったんです。SMクラブに行けない人が、ソープで飲尿したり、アナルホジホジしてもらったりね。90年代になってSMクラブはずいぶんと敷居が低くなりましたからね」(ラッシャーみよし氏)

 80年代、ファッションヘルスやイメクラなどのニュー風俗が登場し、風俗雑誌やエロ本が急増すると様々なフェチが登場した。巨乳や美脚が定番となると、物でも呪物でもない「行為」に対するフェチが登場した。冒頭のくすぐりデリヘルもそのひとつだ。

 

見えにくいが、母乳が飛び散っている。マニアは垂涎ものだが、それ以外には生臭く感じる

 

「フェチ風俗は、こだわるプロデューサーがいないと成功しません。そういう人がいる店は、全国から客が集まって来るんです」

 ラッシャーみよし氏が言うように、マニアが集う店だからこそ、その真髄を理解できていないと、すぐに飽きられてしまうようだ。

 そして、日本代表といえる最新フェチが全身タイツだ。これは、頭の先からつま先までをタイツに包まれて行動するもので、密着感とその上から触れられる快感がたまらないという。『ZENTAI』と呼ばれ、すでに世界中でフェチ共通語となっている。

 フェチは、文化としても風俗産業としても世界に広まりつつある。そして、あなた自身が心の中にあるフェチに気付いた時、新しい風俗、新しい快感の楽しみ方が始まるのだ。

(記事引用元=ズバ王

 

 

 

 記事執筆◯松本雷太:フリーライター歴16年。日本全国を取材して歩いた裏風俗の潜入ルポ多数。共著『死ぬまでに行きたい! 首都圏裏風俗編』が近著。

 

 

 

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