外国人エステから非風俗エステブームへ
変化はこうして引き起こされた
◯本番の常態化から寸止めエステへ
1980年代、韓国ではすでに定着していた『アカスリ』を取り入れたサウナが新宿区大久保に登場し、日本の韓国エステの基礎を作った。それから約10年後の93年、『千住エステ』が、『エステ』という名称を最初に用いた韓国式エステとして北千住にオープンした。施術するのは日本人で、ヌキ無しであった。
本場韓国人女性がヌキを含めて施術する『韓国エステ』が新宿に登場したのは97年頃のことである。1万円程度でマッサージとヌキの両方が楽しめるお得感から、アッという間に全国の歓楽街に広まっていった。
韓国エステ人気が急上昇すると、派生的に登場したのが、今や日本中にはびこる中国エステだった。見る間に韓国エステを凌駕するや過当競争となり、ヌキサービスは過激化。大陸仕込みのマッサージと本番で1万円という、ちょんの間と化していったのだ。やがてそれは、日本人や白人まで巻き込んだ本番エステブームへと発展していった。東欧や南米出身の金髪白肌の女のコが、撫でる程度のマッサージをしながら、
「セックススルゥ? イチマンエン、イイデスカ?」などと囁いては、追加料金をせしめて腰を振るのが常態化していた。
一方、日本人エステは、当時、隆盛を誇っていた『西川口流』をもじり、『越谷流』や『草加流』と呼ばれ、サービスは本番ヘルスそのもの。中国エステより数千円高いが、若くてカワイイ日本の女のコと本番できるとあって、都内はもちろん、関東全域から男は埼玉を目指した。
しかし、それも2004年、新宿や池袋の闇営業の店舗型ヘルスが摘発されるのと時を同じくして姿を消してしまった。 「その中で、ヘルスは摘発されるのに、中国エステは増える一方という矛盾を感じていたのは、歓楽街の客だけではなかったんです。ヘルスやデリヘルの経営者たちも同じところに目を着け、現れたのが、日本人女性による洗体エステやメンズエステというわけです」(前出M氏)
沖縄発祥の洗体エステは、水着やパレオ姿の女のコが泡で身体を洗ってくれ、さらに、風俗寸前のギリギリマッサージが楽しめるという物珍しさから、一気に増えていった。風俗エステ第三期の始まりだった。冒頭の洗体エステはその中でも珍しくヌキアリの店で、現在も都内で営業している。
しかし現在、停滞する日本の景気や五輪対策の摘発、マイナンバー制度などの問題から、中国エステは減少の傾向にあり、逆に増えているのが、マンションを利用した日本人エステである。もちろんヌキは無いが、キャミにTバックで騎乗位マッサージなどされると、ついついイケナイ妄想で股間がFBK(フル勃起)してしまいがち。看板も無いお色気エステが今後どこまで勢力を伸ばしていくのか、寸止め好きには楽しみな業種に違いない。
(記事引用元=ズバ王)