世界に名立たるニッポンの『フーゾク』は、世界で唯一進化し続けているオンリーワンの存在だ。そんな日本の風俗史を探る第五回は『風俗と非風俗エステの変遷』の歴史に迫る!
松本雷太のニッポン風俗史講座
第5回「風俗と非風俗エステの変遷」
◯エステの始まりはパンマの終わりから
紙トランクスに着替え、施術台の上でうつ伏せになると、小さな掌で筆者のコリコリの背中を揉み始めるのは20代後半の美女。腰に股がり、体重をかけて背中、肩をほぐしてくれる。
部屋は完全個室で静かに癒し系のBGMが流れている。脳みそHDDがスリープし始めた頃、まぶたを強制起動させると、すぐ目の前に彼女の水着の股間が見えた。
いよいよ洗体が始まり、仰向けになるとパンツの中に泡を入れ、そけい部を洗い始める彼女。やがて、サワサワっと手がサオに触れたかなと思ったら、半勃ちのサオを彼女はしっかりと握りしめ、上下にゆっくりシコり始めたのだ…。
2010年頃から盛り上がり始めた日本人エステは、沖縄発祥の洗体エステブームから火がついた。しかし、風俗エステそのものの歴史は古く、戦後から始まっている。
戦後の日本にエステ系風俗が現れたのは1950年頃と言われる。風営法公布の翌1949年、売春取締条例が発令されると、それまで赤線などで働いていた娼婦たちの中には、ホテルや旅館にマッサージ師として出入りするものが急増した。それがパンマ(パンパンマッサージ)の始まりである。
日本風俗研究家のM氏は、当時の様子をこう解説する。
「パンマ嬢が客室内で行うのは、『マッサージ』という名の売春です。これは、今の大陸エステの『建て前』や、摘発された際の『言い訳』と同じです。さらに当時普及し始めた電話が、コールガールとパンマを手助けしました。これも、現代のケータイやインターネットの普及によって風俗の形態が激変したことと同じです。その後、パンマは、大阪万博前年の1969年10月、大阪府警の『パンマ狩り』によって淘汰されたとみられます」
ここまでを風俗エステ第一期とするならば、第二期に登場したのは非風俗を掲げるあのエステだった。
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