社風は「我が道をイク〜」“オンリーワン”のメーカー【セレブの友 】
代表プロデューサー・白水力の業界独り言コラム 第12回
AV黎明期、白水力社長がキャスティングで騙されたモデルとは…
さて今回は、AVメーカーらしく、AVの歴史や現場のあり得ない出来事などを書いてみますかね!!
AVというのは、1981年が業界の初年度の歴史と言われており、元はビニ本からはじまったとされています。
劇場公開されるポルノ映画とはまったく異なる新しい流通を目指した業種として、制作されたのです。
元々はビニ本を作っていた会社がビデオ部門として設立、これがきっかけになり、アダルトビデオ業界の誕生となるわけです。
若い方はご存じないかもしれませんが、このAVの創世記より少し前にビデオデッキ売り出されはじめ、当時の値段は約20万円! 恐ろしく高額な家電だったんです。
その頃のAV業界は、きわめていいかげんで、アバウトで、ずさんな業界だったかも(笑)
僕個人は業界25年くらいだが、そのころから10年くらいは少なくともメチャメチャでした。
今のように女優さんを面接する文化もなく、プロダクションと称する個人ブローカーなども含めて、宣材写真とマネージャーの言葉を信用して、撮影当日まで女優と顔を合わすことなく作品は創られていました。
ビデオの尺も短い作品だと30分くらい。長くても90分くらいと尺は今と比べるとかなり短かく、とんでもなく短い作品だと11分くらいしか収録していないのに12000円とか、とんでもない値段で売っているメーカーもありました。
業界人の僕は興味を持ち、「女のへそ」「ヒールの脚」なる11分作品を購入したことがあります…あくまで、どんな作品か興味本意ですが…。
まぁ〜、ふざけた作品だった!
女のへそなんかは、お腹が出ちゃうくらいのTシャツにホットパンツのようなものをはいて、顔も写ることなく、ただただ、へそをイジッたり、お腹を上下に動かしたりするだけ(笑)
Tシャツから乳首が透けているのが、唯一のエロスというから驚きの時代だ…。
当時はうちの会社はたくさんのメーカー、たくさんのレーベルを保有していたのですが、当時の衝撃的な撮影エピソードをひとつ書いてみましょう。
当時の業界文化に右に習えして、宣材写真だけで女優の撮影をきめた当日である。
宣材写真は定番の三本線セーラー服を着た女子校生風な写真だった。
まさに、かわいい女子校生に見えて、そのままいこうと即決の撮影決定だったのだ。
今のセレブの友の形体を考えたら、女子校生作品なんか想像もできないでしょ〜に(笑)
尺が短いから撮影時間も短い。朝の9時か10時集合の、終わりは夕方5時から7時くらいにはだいたい終わっていました。
あのころは楽でたのしかった…そして、こんなたいへんな時代がくるなんて、その頃から業界にいる人間は誰ひとりとして想像もしていなかったと思う。
さて、女子校生風な女優が撮影当日にきました。
撮影の準備でさっそく制服に着替えてもらうと…。
えっ!? え〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
目ん玉をまんまるくした僕がそこにいた…。
マジか…
プロダクションにいっぱい喰わされた。
宣材写真では、その女優の着衣とはだかの写真が二枚あったのだが、バストの下の辺りで腕組みをしていた。
で…
彼女の裸をみてみると…
刀で斬られたような大きな傷が胸の下に!
…聞いてないし。
さらに!
えっ!?ちょっと待って!
背中には和彫りの素敵な刺青がびっちり!!
これには仰天した。
たぶん、当時の文化は「確かめないほうが悪い」そんな文化だったように記憶している…。
どうする!?
いまさらどうにもならない。
やけくそに「入れ墨女子校生」という作品にした!!
当時はドラマ的な要素のある作品はほとんどなく、台本なんかは当日にどうとでもなったのだ。
この作品は、まだメーカー立ち上げから100本も撮影していない時だった。見事にプロダクションに騙されたのだ。
今はメーカー、問屋、プロダクションもかなりの健全化をしているし、俗にいうヤカラも存在は皆無である。
しかし…当時のAV業界は、野放し状態、野犬のようなヤツはたくさん存在していて、この時が大きく騙されたはじめての経験だった。
ちなみに僕がまだ二十代の時でした…(笑)
さて、リリースした「入れ墨女子校生」
これがとんでもなく売れたのだ(爆)
まさに…タナボタ!!
万本超えの快挙だったのだ!!
やはり、ビジネスとはいつ何が起きるかわからん、何が幸いするかわからん…そんなことを考えさせられたのであった。
良くも悪くも、今では考えられないくらいおおらかな時代でした(笑)
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