絶世の美女が集まる真栄原が滅んだ理由
◯【四国】 海に囲まれた四国は独特の風俗が存続?
瀬戸内海に阻まれた四国は、ちょんの間が封印されて残った。中でも道後温泉にあったネオン坂は隆盛を極めたが、8年ほど前に廃業が相次いで、現在はほとんど消滅。タクシー運転手に聞いたところ、摘発ではなく行政との再開発の行き違いで組合が廃業を決めたという。
それでも松山市内は風俗に大らかで、千舟町や土橋にちょんの間が残っているし、温泉宿はコンパニオンと本番ができる。
坂本龍馬ゆかりの高知も、土佐男の激しい気性を受け入れるちょんの間が健在で、堺町では摘発で時おり休業するソープを尻目に呼び込みのオバさんが活躍する。堺町は泡街との競合のためか、20歳の若いコから在籍している。玉水町は遊郭時代の建物がそのまま残り、熟した女性が夕方から相手をしてくれる。
◯【九州/沖縄】内地の男衆が美女を漁った真栄原だが…
沖縄の美女率はかなり高く、5千円で遊べる真栄原をはじめとしたちょんの間は社交街と呼ばれていた。ところが摘発が相次ぎ、ここ5年ほどで消滅。姫質が高い上に破格値で遊べるとあって、旅費を度外視しても行きたい場所だったが…。
ことの発端は何か、真栄原は普天間基地のある場所だ。そう聞けばきわめて政治的な臭いがするではないか。沖縄のちょんの間では外国人と地元ウチナンチュは遊べず、本土の男が姫からオモテナシを受ける竜宮だったのだ。本土と経済格差のある沖縄では観光は大事な資源であるのだから、あえてそれを切り捨てたことは残念だ。
穴場を一つあげよう。アクセスで一歩劣る宮崎は他の地域から遠いため良質な風俗がある。なかで宮崎市内上野町のちょんの間スナックは顔見せのあと連れ立ってホテルで遊べる。深夜近くになると、チェックイン待ちの行列ができるほどだ。
(記事引用元=ズバ王 2016年6月号)