世界に名立たるニッポンの『フーゾク』は、世界で唯一進化し続けているオンリーワンの存在だ。そんな日本の風俗史を探る第七回は『温泉街風俗』の歴史に迫る!
松本雷太のニッポン風俗史講座
第7回「伝統の温泉風俗」
◯どこから始まった? ニッポンの温泉風俗
新宿から特急で1時間半ほど。首都圏屈指の歓楽温泉として有名な山梨県の石和温泉が開湯したのは、高度成長期初期の1961年である。
数年前、風俗マンガ家のTN氏と共に石和のピンクコンパニオン取材に向った。宴会で2人の若くてカワイイコンパニオン相手に、野球拳に王様ゲーム、浴衣の帯をまわしにして相撲を取って大盛り上がり。最後に入った庭の専用露天風呂は4人でギュウギュウ詰め。その後、22歳のコンパニオンと2人きりになり、お湯の中で生ハメさせてもらったのはTN氏にはナイショの話である(笑)
日本の温泉の歴史は古く、道後、有馬、白浜の日本三古湯は、日本書紀や万葉集にもその名が見られる。傷ついた動物が、湧いた湯に浸かっていて発見されたという伝説は各所にあり、「温泉」は単なる入浴ではなく、病気や怪我の治療の場にもなっていた。
それが平安時代には庶民の憩いの場となり、江戸時代にはさらに娯楽の色合いが濃くなっていったのだ。
それでは、最初に風俗が生まれた温泉はどこか? 諸説あるが、明治時代の有馬温泉という説が有力だ。長期滞在の湯治客が湯女を遊び相手にしたことから始まり、やがて芸者、ソープランドの泡姫へと変遷していった。そして戦後、風俗と温泉が再び巡り会うことになったのだ。
◯温泉街の栄華と凋落 時代に翻弄された街
「温泉風俗が栄えたのは、戦後の高度成長期以降です。1年間、一生懸命働いた慰労を目的として、社員旅行など温泉への団体旅行がブームとなり、各地の温泉街が発展しました。その際、お湯の他に観光資源がない街が、積極的に風俗を導入していったようです。石和温泉もそのひとつと言われています」(風俗誌編集長)
当時の代表的な温泉風俗は、別府、雄琴、皆生のトルコ風呂。道後、下呂のちょんの間。有馬、白浜の芸者。山中、山代のコンパニオンなど。こうして見ると「日本三古湯」や「三名泉」、「三大温泉」の有名どころが軒を連ねているのがわかる。それだけ温泉と風俗は繋がりが強かったということだろう。
バブル期に入ると、深夜のテレビ番組や週刊誌で、金髪の湯女が背中を流すシーンや「女体盛り」の扇情的なシーンが登場し、温泉風俗が一躍脚光を浴びるようになった。しかし、酒池肉林の浮き世は長くは続かず、バブル終演と共に慰安旅行、団体旅行は激減していった。
歓楽温泉にとって致命的だったのが、「女遊びの温泉街」というレッテルだった。女性客や家族旅行、修学旅行などの客からは敬遠されていたため、風俗客が減ると途端に閑古鳥の鳴く温泉街となってしまうのだった。
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