本サイト名前の元であり、1985年の創刊以来日本のエロ雑誌の中心的役割を果たした伝説の雑誌『デラべっぴん』
“もっと女を愉しみたいマガジン”というキャッチのもと様々な企画で僕らを楽しませてくれた。
その歴史を日本一のデラべっぴんマニアである“DBM”氏(れっきとした一般の方)にその貴重なバックナンバーとともに振り返ってもらった…。
第2回(前回)
アラフォー全開の、エロへのアクセスが困難だった時代のエロ本ズリネタ話です。第1回目の記事で「日本一の“デラべっぴん”マニア」と紹介され嬉しいやら恥ずかしいやら(*´∀`)
巻頭・秋元ともみのグラビア、フォト激画、性知識講座の淫靡なカラミ、企画ページの過激 なショットの数々でデラべっぴんNo.38(1989年1月号 表紙:黒木永子 歴史的名書!!)との ファーストコンタクトで完全に撃ちぬかれた私。その後たびたび性欲を持て余しては近所の商店、コンビニの雑誌コーナーで股間を硬く熱くこわばらせながら「これは買わなければ!」 と衝動買いさせてくれるエロ本を物色し、品定めした結果またしても『デラべっぴん』を買って 帰る、ということをしていました。
いま思うと、最初に入手した号のそれぞれのページの完成度とエロさが異様に高かったと感じます。そしてそれはガキの自分には刺激が強すぎ、その後の嗜好を決定的なものにし、「一生引きずる」ズリネタになってしまいました!
私が他のエロ本よりも高いポイントとしてお気に入りにしていたことがいくつかあります。 つまり見ているうちに「・・・オナニーしたい。。。(;´Д`)」という気持ちになる急所です。
まずサイズが大きい 。他誌に比べて『デラべっぴん』『Beppin』は紙面のサイズがA4サイズで比較的大きいエロ本でした。 美しくもエッチで、大きいページで大きい写真のグラビアが出ていると大変「実用的な」エロ本 でした。その後『Bejeans』『GOKUH』『ビデオボーイ』『Dick』『Bachelor』などに手を伸ば していくことになりました。
2ページ見開きのぶち抜きで印象深いのはNo.52(1990年3月号)巻末グラビア「ZAKURO」の 中原絵美。
中原絵美のZAKURO グラビアは、留守番で親が不在のときにオナニーしたくなってしょうがなくなって、全裸に なってデラべっぴん見開きに覆いかぶさってオナニーするなどしていました(笑)。
今でも彼女のこのグラビアでイケます。
もうひとつは表紙の雰囲気 。これは直感的というか好みとしか言えないと思うのですが、表紙の醸し出す雰囲気が 個人的にかなりツボでした。
表紙モデルが肩出しの顔アップで誌面のキャプションに”フォト小説 股間を救う愛の献血車“(No.50 1990 年1月号 表紙モデル:吉川美香)”今、蒸れて発情する「オンナ」に大接近”(No.58 1990年 9月号 表紙モデル:飯島美由起)”イヴに発情する女たち”(No.61 1990年12月号 表紙 モデル:金野かなえ)など、エッチなキャプションに囲まれた肩出しアップの女性モデルは 「裸で何も着ていないんじゃないの…?」という妄想を掻き立てさせ、余計にいやらしく感じるのでした。
表紙は今でも買う時の重要な判断基準になっていまして、表紙で抜いたケースも多々有ります(笑)。
(文・DBM)
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