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ソープでおなじみのマット洗体『泡踊り』は1969年、川崎で生まれた! 赤線からトルコ、そしてソープランドへ…ニッポンが誇る王道風俗の歴史を振り返る【ソープランド進化論!!】(後編)

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昨日配信した記事前編に引き続き、いまや世界に名を轟かせるニッポンのFUZOKUの王様、ソーププランドの歴史を振り返っていく【ソープランド進化論!!】(後編)

ビーチマットから生まれた泡踊り

 ニッポンが生み出した風俗の王道・トルコ風呂で、一番の技術革新=イノベーションと言えば、「泡踊り」であることに間違いはないだろう。

 ことの発端は、吉原の某店の某社長が上野の街をブラブラと散歩をしているときにたまたま目にした、ごく普通の海岸で使うビーチマットであった。ただその時は何となく気持ちに引っ掛かるものがあって。とりあえず1枚買って店に持って帰ってきた。

 それが、どうやら、こうやらなって話は川崎に移る。御当地にある高級店にお勤めの浜田嬢が、案出したのが〝泡踊り〟なのである。おそらく彼女は「このフワフワするマットの上でお客さんと戯れたら一体どんな感じがするかしら」なんてことを考えてしまったらしい。

自身の身体ひとつで稼ぐには、テクニック向上は必須。潜望鏡フェラ、椅子洗い、マット洗いなど、嬢たちの技術アップが、世界一の風俗と言われることに繋がったのだろう

 それも2人の身体にはヌルヌルの石鹸の泡を塗りつけて。さっそく試してみようと思い立ったのが69年のこと。彼女のいた高級店「川崎城」は入浴料5000円、そしてサービス料が8000円という、当時では破格の店であった。それだけに客に対するサービスには、泡姫たちも大いに気を使っていたのだろう。

 マットを使ってのテクニックの開発に浜田嬢は、これ務めた。それが見事に当たったのである。エアマットの上に客を仰向けに寝かせて石鹸の泡を乳房に塗りたくってから客の身体に自分の身体を押しつけるようにして擦りたてるのだ。その間、自分の体重をできるだけ客にかけないようにして両腕で支えながらのプレイである。

 はたして彼女のもとには1カ月に200人もの客が押し寄せたというから、月収は1200万円ぐらいにはなっていたろう。これを年収にすれば1億4000万円。それを浜田嬢は身体1つ、泡踊り1つで稼いだのである。

 泡踊りは主に関東地方の店を中心に広がっていった。そして行く先々の店でまた新たな展開をみせた。例えば川崎では「王室」「王朝」「王宮」などの店名に王の字の付くグループが〝王流泡踊り〟を大看板に元気なところを見せていた。また横浜の「鎌倉御殿」は〝御殿流泡踊り〟で大いに気を吐いていたし、千葉の栄町にあった「トルコ石亭」では〝石亭流泡踊り〟を名乗って多くの客を集めていた。

トルコ風呂の泡踊りが関東から全国に広まって、その人気はピークに。ひとりで何千万という金額の年収を稼いでいた嬢もいた

 

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