「人生の裏街道のような場所を歩きたい。」
思春期の頃からそんな思いを胸に生きて来た私は娼婦となりました 。
ソープランドでの仕事は、 肉体的な痛みだけではなく心の痛みや葛藤の連続ではあったけど、 ここが私の求めていた場所だと信じて働いていました。
ブランド物や贅沢な海外旅行など、 そんなちっぽけなモノには全く興味はありませんでした。
「風俗」という闇の世界に惹かれ「性」を売り物にし、 世間の常識からはかけ離れた場所に身を置くことで、 安堵していたのかもしれません。
今回訪れたのは新宿二丁目。
ゲイタウンとして誰もが知る街ですが、 かつてこの辺り一帯は内藤新宿という宿場町がありました。
そこには飯盛女を置く旅籠も多くそれが後に新宿遊廓へとつながっ ていったそうです。
飯盛女や茶屋女は実質遊女と変わらなかったと言われています。
その遊女たちの投げ込み寺だったのが、 靖国通り沿いに今でもある成覚寺です。
過酷な仕事で病死しする遊女が多く、死んだら投げ込み寺に葬られる事が一般的だったという大変悲しい 歴史があります。
そして戦後は赤線地帯へと続きます。
1958年(昭和33年)、売春防止法が完全施行された後の「 新宿二丁目」は、 吉原のような歓楽街に引き継がれることはありませんでした。
お客の多くは新興歓楽街の歌舞伎町に流れていきました。
特殊飲食店としての営業を終えた後、登場したのがゲイバーで、 現在は日本を代表するゲイタウンに成長しています。
私が訪れたこの日はまだコロナ禍の真っ只中という事もあり、 開いているお店は殆どありませんでした。
暗闇の中ひとり歩いていると…
遊女の死を無駄にしたくない、 性風俗という重く悲しい闇の歴史を大切に伝えていきたい、 そんな気持ちになりました。
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