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日本人が独自に生み出したユーモアあふれる文化…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.24・吉原

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吉原という場所は東京に住んでいてもどこにあるのか知らない人が多いようです。 

とくに女性は遊廓の歴史について知っていても現在のソープ街については当然ですが関心のない方がほとんど。
先日ある女性から「紅子さんは花魁だったんですね」と言われ、いつの時代のこと言ってるのかと驚きました。 

まるで海外の人が日本人をイメージした時に現代においても
“ちょんまげのサムライがいる”
そんな姿を想像するのと同じこと。

それだけ「吉原」という響きは世間の人々にとって、遠い存在なんだと気づきました。 
私はもちろん花魁ではなくソープ嬢として吉原で働いていました。 
花魁が存在したのは戦前のことです。

現代の吉原でも花魁のように着物姿で接客していると思ったら大間違いです。
基本的にはスーツかワンピース、時々ドレスのような衣装を着ていました。
もちろん実費なので衣装代や下着代だけでも月に数十万使うこともあります。

椅子洗いからはじまって殿方のアソコを綺麗にしたあとはお風呂で潜望鏡です。
湯船からでている勃起したアソコを丹念に舐めまわします。
水面からでる男性器がまるで潜水艦の望遠鏡のように見えるので、この名前がつけられました。

湯船から出たあとはマットプレーがまっています。
お湯で溶いたローションを殿方の全身に塗りたくり、上下左右と動いて刺激を与えていきます。
マットの上で一回戦する場合もありますが、滑って危ないのでつづきはベッドでという方が多かったです。

吉原に現在でも花魁がいると思っている方はきっとこのようなプレーが日々繰り広げられていることを知らないでしょう。

ソープランドでの技の数々は、日本人が独自に生み出したユーモアあふれる文化のひとつです。


紅子10代で売春婦となり吉原、川崎堀之内、歌舞伎町、など関東各地の風俗街を13年以上転々。現在は色街写真家として、風俗街、赤線、遊郭跡地などを訪れ、日本の性文化を記録する。過去の風俗体験を語る『紅子の色街探訪記YouTubeで配信中。
2023年12月写真集「紅子の色街探訪」出版。
昭和が遠い彼方に消えつつある中、奇跡のような風景がいくつも残されている街…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.23・(続)昭和風俗の文化遺産北九州市小倉
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