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昭和が遠い彼方に消えつつある中、奇跡のような風景がいくつも残されている街…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.23・(続)昭和風俗の文化遺産北九州市小倉

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今年9月に訪れた北九州市小倉。

九州の玄関口、長崎街道の起点として発展した街です。
小倉駅の西側すぐの場所には、昭和の猥雑感を色濃く残す成人映画館、ストリップ劇場、そして昭和風俗の代表ともいえるテレクラまでもが静かに佇み、さらに進むとソープランド街が広がっていました。

かつてこの周辺には小倉市旭町遊廓がありました。

全国遊廓案内には『明治十六年で、北九州では博多の次ぎである。現在貸座敷業が三十軒あって、娼妓が約二百五十人居る。と記されています。

戦後はいわゆる赤線の歴史を経て、売春防止法施行後はソープ街になったといわれます。

またこの辺りはパンチパーマ発祥の地という説もあり、気合の入った強面の男たちが行き交うすがたがありました。

ソープの建物は不思議なほどに品があり、常盤橋から夕暮れ時に見た歓楽街は息をのむほどに美しく、ネオンの輝きに彩られていました。

そしてソープ街の脇にはかつての“ちょんの間”が廃墟のような状態で数件残されていました。
この辺り一帯は2007年に摘発され、細々と再開しまた摘発と繰り返していたようですが、現在営業している店は一軒もありません。

ですが、ここがちょんの間街であったことがわかる「新京町料飲組合の看板だけは色褪せながらもひっそりと残っています。
周辺には廃材が放置され裏街道を生きることの哀愁が伝わってきました。

さらに15分ほど歩いた場所には九州の台所としてしられる旦過市があります。

その歴史は古く、今からおよそ100年以上前の大正時代。戦時中一時途絶えながらも闇市として復活し、現在まで歴史はつづいています。

昭和は遠い彼方に消えつつある中、小倉周辺には奇跡のような風景がいくつも残されていました。


紅子10代で売春婦となり吉原、川崎堀之内、歌舞伎町、など関東各地の風俗街を13年以上転々。現在は色街写真家として、風俗街、赤線、遊郭跡地などを訪れ、日本の性文化を記録する。過去の風俗体験を語る『紅子の色街探訪記YouTubeで配信中。
2023年12月写真集「紅子の色街探訪」出版。
昭和風俗の文化遺産ともいうべき街並みや劇場が生き続けている場所…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.22・昭和風俗の文化遺産北九州市小倉
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