社風は「我が道をイク〜」“オンリーワン”のメーカー【セレブの友 】
代表プロデューサー・白水力の業界独り言コラム 第7回
人生最大の悪夢!M9.1の巨大地震で運命を大きく分けた出来事
僕の本当にあった話です。
嘘偽りもなく、ほんとうにあった「奇跡のラッキーの男」の話です…。
忘れたくても忘れられない悪夢!!
2004年12月26日 スマトラ島沖大地震!!
僕は大被害をうけた微笑みの国タイランドのプーケット島に居たのです!!
マグネチュード9.1の巨大地震、波の高さは最大50メートルにも及んだのです。
報道では被災人数がバラバラですが、おおよそ30万人が犠牲になった大地震です!
前のコラムでも少し触れましたが、僕はこの時代、タイランドのプーケットとはたいへん縁が深く、taxi会社を立ち上げて間もない時だったのです。
毎月のようにプーケット島に行っていました。数年間で延べ、おそらく40回オーバーは行っていると思います。
プーケットのtaxiとは、トゥクトゥクと呼ばれる軽トラックの荷台を改造して座席にしたものです。
メーターもなく、悪徳ドライバーの車に乗ってしまうと餌食になります。
農耕民族で英語が苦手な日本人は、かなりの良質な獲物になってしまうのでしょう。
東南アジアでは比較的治安がいいプーケット島ですが、実際にはこんな小さな被害もあったりします。
さて、数年間で40回以上行っているのにも関わらず、泊まるhotelはいつも一緒でした。
しかし…このときだけ、ほんとうにこのときだけ違うhotelに泊まったのです。
実は扁桃腺を取る手術を翌年に控えていて、今の時代より時間が自由に取れた僕は20泊というとんでもない旅行にストレス発散で行ったのですが、この年はプーケット島は例年にない混み具合いで、いつも泊まるホテルの値段が高騰していました。
いつも止まっているhotelはちょっとした裏技で、専用プール付きのスイートをとんでもない安い値段で泊まってましたが、この年はとんでもなく稼ぎ時らしいプーケット島では裏技は通用しません。まともな値段で20泊すると、軽く200万オーバーの宿泊費に…(涙)
しかし、これが功を奏しました。
しぶしぶ他のホテルに宿泊したことが、津波から奇跡的に逃れられた理由だったんです。
大地震のあとの常宿のホテルは、ゴルフ場のように跡形もなくとうぜん宿泊者、従業員はすべて残念な結果に…。
それと、当時の僕はジェットスキーが趣味で、プーケットには二台所有しており、いつも浜辺に置いていました。が、それも当然地震のあとの津波で流されてしまいました…(涙)
さらに「僕はラッキーな男」と思うできごとが…
その時は、ジェットスキーが大好きということもあり、プーケットのメイン、パトンビーチの目の前の三階建てホテルに泊まっていました。
一階に20泊希望をしたものの、やはり混んでいる観光地はどうにもならない。
一階に泊まるなら、途中三階に移動して最後の5日間くらいにまた一階に戻ることならできるとか、とてつもなくめんどくさいことを言われたんです。
ジェットスキーをしている身としては、一階のほうが何かにつけて便利でしたが、しょうがなく三階に泊まったのですが…これが運命をわけました。
12月23日にプーケットに渡り、26日に悪夢が。
本来は一階にいるはずだった僕です。
そして、津波が!
一階、二階ともに流されました。三階の宿泊者はベランダに出ていて時の過ぎるのを待ちました。
大きいのが二発…どうにもならない。
助けを呼ぶ人達だらけなんです…。
僕はこの出来事を目の当たりにしてから、大好きだったプーケット島には一度も行っていません。
ジェットスキーは流されて、うちのtaxiも半分近くの車が流されました。
僕が助かった要因がもうひとつあったのです。
その日、社長を任せていた現地のプーケット人に、日本人向けの居酒屋で説教をしていたのです…朝の6時くらいまで。
本来は午前中は確実にジェットスキーをしている時間でしたが、さすがに疲れてホテルに戻り眠りについていた…この、普段と違った行動をしたおかげで助かったのです。
一発目の津波は知りません。人の騒ぐ声で起きたのです。二発目のでかいのを目の前で見ました。
最悪でした。
こんな体験をした僕は、いままでどうでもよかったこと、特に「先祖供養」について考えさせられるようになりました。亡くなった先祖が自分を助けてくれたんだ…と。
無宗教者の僕ですが、どんな人でも、どんな国の人でも、先祖を敬う気持ち、感謝の気持ちは忘れちゃダメだと。
本当に体験した話です。
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