社風は「我が道をイク〜」“オンリーワン”のメーカー【セレブの友 】
代表プロデューサー・白水力の業界独り言コラム 第9回
16歳から働き始め、消火器の訪問販売▶テレクラ経営と波乱に満ちた人生を自ら語る!!
…社長になった理由
わかりません…(笑)
なんでだろ〜、どうして社長になったんだろ〜。
自分で自分のことがよくわかりません…また社長になった理由を語るなら、過去の若かりし頃の美形時代の僕のどこから話せばよいのだろ〜か(笑)
僕が社長になった理由〜。
一言でいうならば、僕の子供の頃からの家庭環境が大きく左右されたと思います。
遺伝とかでなく、実は実家は大都会なのですが、その小学校では裕福な家庭の人が多く、僕はド貧乏の家庭でした。
でも最初からド貧乏のわけではなかったようで、幼少のころの写真を見るとアッチコッチに連れていってもらった…ただし記憶なし。
詳細は覚えていませんが、どうやらなにかの理由でいきなり貧乏の家庭になったようです…
はじめての自分で稼ぎだすことを覚えたのは、小学校低学年くらいだったかな?
ある新聞社に子供新聞なるものが日曜日だけ発行されていて、なぜか貧乏でもその新聞を取ってくれてたのです。
そしてこの新聞には、詩や作文を子供たちが書いて入賞するといろんなものがもらえたのです。
今でも覚えてます。はじめて、詩を書いてみよ〜と思った時の商品は「UFOがプリントされたTシャツ」。ド貧乏の家庭では、僕は夏の服を半ズボン二枚、Tシャツ三枚くらいしか持っていなかったと記憶しています。
ほしい、絶対にUFOのTシャツが…。
僕の詩が見事入賞しました。
Tシャツを手にした僕ははじめて「自分で稼ぐ!?」を体感したのです。
それからです!!毎週毎週、詩や作文を書いて書いて書きまくり、入賞の常連になりました。
意外にほしくないのにもらった図書券とか…。
でも、あの図書券でいろんな本を購入した記憶もうっすらあります。
稼ぎだす…社長の芽生えだったのかも?
16歳の頃にはすでに働いてました。
厳密には中3の15歳から稼いでました…恐喝とかではなく(笑)少しだけ人を感動させることをしてました。
父親の唯一の趣味の釣り!!
穴場を知っていて、ニジマスやなかなか釣るのに難しい魚が入れ食い状態で釣れる場所に連れていってもらった少年時代。貧乏な家庭でしたから、当然晩飯になります。 その穴場を金にしたのです。ツアーのようなことをして。
社長として必要な「情報収集の目覚め」だったのかもしれません。
ちゃんと金を稼いだのは十六歳…消火器屋さん!!
けっこうイメージの悪い仕事。
完全歩合給で数ヵ月で独立しましたが、一月目の給料袋は立ってました。
300万超えです! 一本売って4000円くらいの歩合給で、大きいタイプを売ると8000円の歩合給!! かなり無茶な数字を叩きだしていました!
その会社もどき(笑)に入ってすぐのとき、営業先として先輩たちがみんなアパートやワンルームみたいなところを好んで回るのか不思議でした。
意味はすぐにわかりました。
ワンルームなどでは独り暮らし。
つまりは相談する人もいないとこに、即断即決で売るんです。
一軒家などは、でてきた人をクロージングできても、他の家族の同意を取ることは難しいからなんです。
当時の消火器屋の悪いとこは…
「消防署のほうから来ました」
という、言葉のマジックを使っていたところ!!
聞いた方は消防署からきた人と勘違い、言っている方は法律をかいくぐり、消防署の方向という意味で言っている、苦しい苦しい営業というか詐欺に近いようなことだった。
ただ…救いだったのは、消防法の検査済みシールが貼ってある新品(笑)
本来は新品で当たり前なのですが、悪質な業者は在庫を持たずに営業して、売れると近くのマンションやアパートなどの共有部分に設置してある消火器を盗んでキレイに拭いて売るんです。かなり酷い業者は存在しました。
しかし、ある時から僕は他の先輩達と違う行動をとるようになりました。
町工場を集中的に回ることにしたのです。
普段は数人でセールス用の車に乗って。何ヵ所も1日に回るのですが、町工場がなさそうなとこでは車から一切降りません。しかし、町工場をみつけるとイケイケのセールスを展開!!
若さの特権か、ある町工場では「おにいちゃん若いのに頑張るね」と、一ヶ所で60本を売ったのです。もちろんそんな在庫はなし、後日配達。
そんなこんなで、いろんなことをしましたよ。
他にも、個人事業主時代には、オゾン美顔器売ったり、車の部品売ったり…。
商品が存在しないで、お金だけ動く「ねずみ講?」みたいなこともしました。
今は厳密には違法なはずです。
忘れもしない中野のスナックのマスター?に誘われて、ギリギリのこともやっていました。
そして、世の中はだんだんとデジタルというか、遊び方が複雑化していき、歌舞伎町にペ○ギングループという七店舗もつ「テレクラ」というものがはじめて現れたのです。
ハマりにハマりまくりました。
当時オールナイトコースというのがあり、夜中から朝まで出入り自由の8000でした。
援交なんて言葉が存在しない時代ですね。ナンパしまくり!まさに入れ食い状態です。
そうだ…自分でやろ〜(笑)
ノリと勢いで不良友達と渋谷に「リダイアル」というテレクラの単独店を日本で最初にしました。19歳の時でした。
ここが「商売人の真似」から「事業主もどき」のはじまりだったと思います。
ティッシュをアルバイトに配らせて、受付がいてテレクラの個室に案内をするわけです。1人でやることでなく、「人を使う」こと。
はじめてティッシュ配りを雇ったときのリーダーは中学の同級生(笑)
ただ…そのビルは会社としての利用はOKだが、店舗としてはNG!!
店が流行りかけたころに、追い出されました…。
その後もいろんなことをしましたよ。
ある雑居ビルに入って、テレクラの延長戦でカトレア、ミンクス、ベルという3つの電話遊び…テレフォンセックスダイヤルというのをつくりました。
支店を川崎、浦安に置いて、ただしアパート(笑) 実はこれがAV業界に入る大きなきっかけになったのです…
つづく!!
次回は来週5月13日公開!!
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