関東最大のちょんの間 黄金町が壊滅して早十年
◯【関東】 遊郭・吉原はソープの街に変貌を遂げた
東京都ではちょんの間に移行しなかった。国内最大の遊郭・吉原でさえスチームバスから通称トルコ風呂を経て、現在でも百数十軒が軒を連ねる泡街へと変貌したのだ。関東のちょんの間は神奈川県など周辺地域で残すのみとなった。東京には町田たんぼがあったと言われるが、じつは町田のちょんの間は境川を越えた相模原市になる。
神奈川県では横浜の黄金町が気を吐いていたが、10年前に摘発の嵐が吹いて町田、黄金町が共に壊滅している。残った川崎・堀之内も組合(表向き料理屋であって組織をもつ)が自主廃業して消滅。
その後、別の業者が進出してコリアン嬢をそろえて派手に売り出したが、目立ちすぎて堀之内ソープ街と軋轢があったのか、違法滞在も問題となりあえなく消滅してしまった。その後も摘発と再開のイタチごっこは続いたが、営業している時でも関西のように呼び込みは一切ない。
川崎には南町にもちょんの間があり、こちらが川崎宿の遊郭の末裔だ。オバさんたちの呼び込みがあるのも堀之内と違うところだ。
ほとんど知られていないが、都内でもいくつかちょんの間があったことがある。吉原の旅館数軒と、新宿の赤線からゴールデン街に移行した店である。現在、その店があるかどうかは実際に行って確かめてみるといいだろう。
◯【東北】 伝統の温泉遊びが男たちを癒す
赤線が廃止されて、売春業は各地で転業が図られた。その最たるものがソープランドだろう。東北でも仙台や小名浜など一部ではソープ街が形成されたが、ほとんどがソープなし県、しかもちょんの間の存続もなかった。
それは数多い温泉の奥座敷と呼ばれる芸者遊びがあったからだ。寒い土地で金をつかんだ男たちは温泉街で女を買ってきた。やがて芸者がコンパニオンにとって変わった現在、この遊びも次第になくなりつつあるようだ。
「日本ちょんの間今昔物語」明日8月9日配信の後編に続く
(記事引用元=ズバ王 2016年6月号)