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現代を生きる私たちに何かを伝えてくれているかのような場所…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.27・飛田新地の歴史を今に伝える「飛田会館」

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現役の色街として知られる大阪・飛田新地

飛田の歴史を今に伝える「飛田会館を撮影することができました。
かつては陸軍憲兵隊の分所も置かれ後世に語り継ぐべき建物です。

外観からは想像できない世界が広がっていました。

この日の大阪は警報が出るほどの大雨。
本来撮影の目的としていた建物は大雨で立ち入り不可となり落胆し歩いていると飛田会館が目に入りました。
以前より会館での撮影を望んでいましたが、私のようなよそ者が突然行って相手にしてくれるわけがないと諦めていた場所でした。

まず同行者の女性が会館に入り、自分たちがなぜ飛田に来たか、そして私が全国の遊廓跡地を撮影する写真家であることを説明すると、こころよく迎えてくれたのです。
突然の訪問にも関わらず会館の方々はとても丁寧に1階から3階までを案内してくださいました。

1階は事務所や会議室として使われ、歴代の組合長の写真がずらりと並び、その迫力は圧巻です。
そして2階に上がると空気が一変します。昭和初期から時間が止まっているかのよう…。
2階の広間は現在物置として使用され、いくつもの提灯が保管されています。

ここは公娼制度の時代、飛田で働く娼妓の性感染症検査場。
木板の床に穴がくり抜かれていて、医師が床下に待機し、穴の開いた床の上に女性たちが立ち、検査が行われたそうです。
この令和の時代まで残っていることに大変な衝撃を受けました。

当時は性病で命を落とすこともあった時代、娼妓たちがどんな気持ちでこの床に立ったかと思うと胸が締め付けられる思いです。
階段から床下に入ると穴からは光が差し込み、現代を生きる私たちに何かを伝えてくれているかのようです。

そして3階には階段式に席が並んだ議会の議場のような部屋が当時のまま残されていました。

失われつつある遊郭の記憶が飛田会館には刻まれています。
丁寧に案内してくださった会館の方々に心より感謝いたします。


紅子10代で売春婦となり吉原、川崎堀之内、歌舞伎町、など関東各地の風俗街を13年以上転々。現在は色街写真家として、風俗街、赤線、遊郭跡地などを訪れ、日本の性文化を記録する。過去の風俗体験を語る『紅子の色街探訪記YouTubeで配信中。
2023年12月写真集「紅子の色街探訪」出版。
いくつもの悲しい歴史が詰まっている吉原遊女の投げ込み寺…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.26・吉原遊女の投げ込み寺「浄閑寺」
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