さて、男性の性器から絞り出された液体に対抗できるのは、やはり女性の性器からほとばしり出た液体=《聖水》しかないでしょう。
マックスエーさんから昨年末にリリースされた『お嬢様の聖水 彩乃なな』が、それにあたります。
ところで、憧れの念を寄せる女性のオシッコを、キリスト教における儀式に用いられる聖なる水の呼称である《聖水》と呼び、嬉々として飲む変態がSMの世界にはいるそうだと、一般的な日本人が認識したのは、さていつごろからでしたでしょうか。
思い返すと、作家・村上龍が、SMの世界を舞台にした小説『トパーズ』を発表した1988年以降からかもしれません。
加えて、1990年に『奇跡が起きる尿療法』という健康本が出版されたことによって、《飲尿》という行為に公けな関心が高まったことも関連しているのかもしれません。
いずれにしても、《憧れの女性のオシッコは聖水として尊ぶものなのだ》というような変態性欲的な認識が、ひろく日本人の意識に根付いていたということがあらわになる事件が、昨年の春に起きました。
なんと《聖水》という名を冠した清涼飲料水「お嬢様聖水」が発売されたのです。
その商品名の秀逸な語感と、アニメ絵の美少女が恥じらい、あるいは歓喜の涙を浮かべている広告やパッケージの図柄から、“お嬢様のオシッコが飲めるのか? ならば飲みたい!」的な妄想をした男性が多数表面化し、ネットニュースに取り上げられるほどの話題となったことは、まだ記憶に新しいと思います(女性はどう感じたのかが気になるところです)。
そのような、ある意味微笑ましい騒動を受け、その秀逸な語感とデザインセンスを限りなく忠実にAVとして再現したのが、マックスエーさんの『お嬢様の聖水 彩乃なな』なのです。
が、「惜しいなあ」と僕が思うのは、ジャケット表面では、彩乃ななさんが可愛く微笑むだけで、目に涙が浮かんでいないところが1つ。身体の感覚器から水分(体液)を流す表現は、タイトルや作品内容からみても、とても重要だったハズです。
2つ目は、ジャケット裏面で彩乃ななさんがオシッコを飛ばしている写真がメインとなり、「お嬢様聖水」のキャッチコピーである《私の中の女神が目覚める》をもじった「私の中の尿意が目覚める」というコピーがあしらわれているのですが、表情や構図からは、恥じらいやエクスタシー感がもう一つ感じられない点です。
そして、本編内にはあるのかもしれませんが、飲尿的な写真やコピーがジャケットにはまったく見受けられないのです。せっかく《聖水》をタイトルに謳ったのに…惜しい、惜しいなあ!
『お嬢様の聖水』というタイトルは、まだまだ全然有効だとおもわれますので、是非とも第2弾を製作し、ジャケットを観た男たちが「の、飲みたい!」と発情するようなキャスティングとデザインで再チャレンジされることを切に希望します。
ほうとうひろし◎エロメディア活動歴28年のエディトリアル・デザイナー。 雑誌版オリジナルの『デラべっぴん』には、 同誌創刊2年後の1988年ころから参画。 同誌名物となったエロ紙工作企画「オナマイド」 を10年以上にわたって連載した。 「オナマイド」 の連載を再構成した単行本は計4冊出版されたが、すべて絶版。 その企画の成り立ちや、当時の『デラべっぴん』 編集部の事情に関しては、 有野陽一氏の取 材によるインタビュー集『エロの「 デザインの現場」』(アスペクト・刊)に詳しい。