富士山の麓の街で旅館探し
数年前のこと、いつものようにネットで裏風俗を探していると、山梨県の富士吉田にちょんの間旅館があるという書き込みを見つけた。
富士吉田にはキャンプや釣り、そしてうどんを食べに行ったことがあるが、霊峰・富士の麓に広がるその街の街道沿いに、ソープランドを見つけたことも。
ちょんの間旅館の書き込みは、ネットが元だけにその真偽は定かではない。旅館の名前はアルファベッドの『M』だけだし、街のどの辺にあるのかも書かれていない。
しかしその数日後、レンタカーで高速道路をぶっ飛ばし、富士吉田に向かったのだった。
駅近くの繁華街の路地を歩いてみると、うらぶれたスナック街があり、その光景はまるで色を失った廃墟のよう。果たして、夜には花咲くのかもわからない。
この街に本当にちょんの間旅館はあるのだろうか、不安に思えてきた。
しかし、1時間ほど街を行ったり来たり、少ない書き込みの情報を元に探し回ったところ、やっと『M旅館』を見つけることができた。
外観は古い木造の旅館で、路地から10数メートル歩いた奥にある。
門を入ると中庭のような敷地があり、右手に母家が。しかし、まだここがちょんの間旅館と決まったわけではない。
「女のコいますか?」
なんて聞いて、
「はぁ?」
と言われたら恥ずかしすぎる。さて、なんて聞けばいいのか? そんなことを考えつつ、ガラス戸をガラガラと開け、玄関から声をかけた。
ピンク色のジャージを着た女将と水色スーツの仲居さん
「こんばんわー」
夏の夕方なので、まだ薄ら明るい時間帯だった。果たして本当にちょんの間なのか?
ドキドキしながら番頭さんか誰かが出てくるのを待っていると、女将と思しき女性が現れた。その姿を見て、「まちがいない!」そう確信した。
女将はピンク色の半袖短パンのジャージを着ていたのだ(笑)。
「あの、遊べますか?」
幾分かリラックスして聴くと女将は、
「大丈夫ですよ」
ぶっきらぼうにそう言った。料金は1万4000円だった。
女将は愛想悪いが少し安心し、相手は何歳くらいなんだろうと聞いてみた。すると、
「40歳くらいですね」
女将はまたぶっきらぼうにそう言った。
四十路といえば美味しい年齢に違いない。それまでとは逆に、少しワクワクしながら玄関で待っていると、表から声をかけられた。
「こちらへどうぞ」
振り向くと案内係の仲居さんが立っていた。年齢は七十路といったところだ。
(へぇ~、ちょんの間旅館だけどちゃんと仲居さんがいるんだ)
そう思いながら、仲居さんのあとをついて中庭を歩いてついていく。
数メートル歩いたそのとき、ふとあることに気がついた。
(あれ、この仲居さん、小洒落た服を着てるな…)
旅館の仲居さんといえば、和服に前掛け姿が定番だが、この仲居さんは昔のスナックのおばちゃんたちが着ていたようなお水っぽいスーツ、しかも半袖短パンで襟だけが白い水色のスーツ姿だった。
それに気づいた瞬間、「ゾワゾワッ」と、全身に鳥肌が立ち、冷や汗が湧き上がるのを感じた。
(まさか…)
そう、ひょっとしたらお相手というのは、この仲居さんでは…?
(いやいや、女将は『40歳』と言ってたし…)
(でも、このハデなスーツって?)
頭の中で天使と悪魔が交互に囁く。
目の前には小さなコテージのような建物が見えてきた。多分そこがヤリ部屋だろう。
(あの部屋に40歳の人妻が待っていますように!)
そう強く念じた。
「どうぞ」
仲居さんがドアを開けて案内してくれたその部屋には、誰もいなかった…。
岸壁から突き落とされたような気持ちで服を脱ぐと、仲居さんも裸になり、風呂場で身体を流してくれる。さっぱりして気持ちがいい。
(このまま、時間よ止まってくれ)
願いは届かなかった。
誰もいないヤリ部屋で顔に跨ってきたのは…
身体を拭くと部屋の奥にあるベッドに案内され、仲居さんが生チ●ポにしゃぶりついてくる。
(ああ、先週、八王子の本サロで18歳の女のコと遊んだばかりなのに…)
風俗の楽しい思い出すべてが、気泡に帰していく気がする。そしてさらに…。
(またがっちゃおうかしら)
仲居さんは少し嬉しそうにそう呟くと、筆者の顔を跨いでシックスナインを始めるのだった…。
そこから筆者の記憶が…。
意識が戻ったのは、気だるさの残るまどろみの中だった。
いくらなんでも、30歳もサバを読んでいいのだろうか? 確実にトラウマになっているだろう。
しかし、一番恐ろしかったのは、七十路の仲居さん相手でも勃起してしまう自分だった…。
(写真・文/松本雷太)
執筆歴22年、風俗ライター、風俗史研究家。