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関東では見かけることがなくなった風俗がまだ現役として生々しく残されていました…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.20・沖縄栄町社交街

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私が風俗街を本格的に撮り歩くようになったのは2年前、48歳の時です。

中年女が夜の街をひとり歩く。
冷静に考えるとかなり頭のおかしな行動かもしれない。
でもその闇に吸い寄せられ、裏街道を歩くことに心地よさを感じていました。
そこには世間の常識から解き離れた自由がありました。

今年6月訪れたのは沖縄の社交街。

本格的な暑さはまだこれからでしたが、街はじめっとした熱気に包まれていました。
国際通りからすぐの場所にある一泊2300円の安宿に宿泊し、初日の夜は現役のちょんの間が残る「栄町社交街」を歩きました。

安里駅で降り、妖しげなネオンの灯りの方向に歩くと、年配の女性がスナックの前に椅子を置き座っています。
また別の通りでも女たちが、男性に声をかける姿がありました。

呼び込みの女性なのか、それとも身体を売る女たちなのか私にはわかりませんでした。
60歳を超えているであろう女たちが厚化粧をして男たちを誘っていました。
旅館」と書かれた色っぽい建物が並んでいます。

他の建物とはどこか違う、妖しげな雰囲気。

後に調べてわかった事ですが、沖縄では「ちょんの間」のことを「旅館」と呼ぶことが多いそうです。

本土復帰後に売春防止法が全面施行されて以降、売春業を公然と営んでいた「特殊飲食店」が「旅館と看板を変えたことに由来すると言われています。

旅館の入り口にはピンク色のライトで照らされたゾッとするほどに色っぽい女の足が見えました。
夜の街とそこで生きる人々、いつの世も変わらない人間と社会の本質…。

関東では見かけることがなくなったちょんの間が沖縄にはまだ現役として生々しく残されていました。


紅子10代で売春婦となり吉原、川崎堀之内、歌舞伎町、など関東各地の風俗街を13年以上転々。現在は色街写真家として、風俗街、赤線、遊郭跡地などを訪れ、日本の性文化を記録する。過去の風俗体験を語る『紅子の色街探訪記YouTubeで配信中
昭和の雰囲気を色濃く残す、生と廃が同居しているような空間…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.19・岐阜柳ヶ瀬
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