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世界に誇るニッポン風俗の発祥は1978年、京都にある小さな喫茶店から始まった?【松本雷太のニッポン風俗史講座 第1回「ニュー風俗の夜明け」】

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世界に名立たるニッポンの『フーゾク』は、世界で唯一進化し続けているオンリーワンの存在だ。そんな日本の風俗史を探る第一回は、『ホンバンのない風俗』の発祥を探る。

 

松本雷太のニッポン風俗史講座
第1回「ニュー風俗の夜明け」

 

◯現代風俗の発祥は小さな喫茶店から

 世界には様々な風俗があると一般的には思われがちだが、実は、ちょんの間、連れ出し、立ちんぼの3つ程度だ。日本の風俗との最大の違いは、本番があるかないか。その違いで日本の風俗は様々に発展してきたのだ。

 1958年(昭和33年)、売春防止法が施行されて以来今日まで、日本の風俗は「挿入なき射精」を標榜し、創意工夫の結果、完成したのがピンクサロンであり、ソープランド(当初は手コキだった)だった。そんな中、1978年、京都にある小さな喫茶店から、突如として今日の「ニュー風俗」が誕生した。

 喫茶店の名前は『ジャーニー』。その喫茶店が始めた奇跡の接客とは、ウエイトレスをミニスカ、ノーパンにするという、単純でしかもエポックメイキングな試みだった。インターネットがない時代、その噂は客の口コミでジワジワと広がり、80年には『モンローウォーク』や、大阪の『あべのスキャンダル』を登場させた。

「全裸に近い姿で小さなエプロンだけを身にまとったウエイトレスが、客の前でBGMに合わせて腰を振る扇情的な光景は、テレビ番組でもたびたび放送されました。50歳以上の読者なら記憶の片隅に残っているでしょう。丸見えのオッパイや、チラ見えするヒップや股間見たさに客たちは、一杯1500円のコーヒー(当時の相場は280円程度)をチビチビと飲んだものです」(風俗研究家・多々野平助氏)

 その光景がテレビに映し出されるや大ブームとなり、翌年には東京で200軒、大阪で140軒のノーパン喫茶が開業する発展ぶりとなった。しかし、その裏で、ノーパン喫茶の登場は、風俗界にとってさらに革命的な現象を起こしていたのだ。

 

◯風俗史を変えた伝説の天女降臨!!

「それまでの風俗は、ブス、デブ、ババアばかりだったんです。でも、ノーパン喫茶の登場で、『さわらず、さわられず、脱ぐだけ』で、OLの数倍の給料を手にすることができる職業として、風俗は働き手である女性の裾野を爆発的に広げ、若くてカワイイ女のコが流入してきたんです。そして、風俗から「悲壮感」を排除して、「明るく楽しい風俗」へと大きな変革をもたらした。その立役者となったのが『イヴ』です」(前出・多々野氏)

 

のちにポルノ映画、AV、ストリップなどに活動の場を広げたイヴ。97年には『サウスパーク』で知られるトレイ・パーカー監督のコメディ映画『オーガズモ』にも出演。

 

「ノーパン喫茶のイヴちゃん」ことイヴの登場は、センセーショナルだった。オバちゃんばかりの風俗に、いきなり若くてかわいいコが天女の如く舞い降りたのだ。その名前が『イヴ』というのも、天地創造を思い起こさせる素敵なネーミングである。

 そして82年頃からノーパン喫茶の摘発が始まると、ブームは一気に沈静化に向かう。しかし、その時すでに新しい風俗の萌芽が始まっていた。歌舞伎町に登場したノーパン喫茶と個室マッサージを併設した『USA』(現在は別名)こそ、現在のファッションヘルスの原型となった店である。

そして、その成功を見た多くのノーパン喫茶の経営者たちは、こぞって個室マッサージに転業していった。しかし、新手の風俗店が乱立する様子を当局が見過ごすはずがなく、85年、現在の原型ともなる改正風俗営業適正化法が施行されたのだ。

 

 

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