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80年代のホテトル急増から始まり、三行広告でロリやNN風俗など無店舗型風俗が主流に…【松本雷太のニッポン風俗史講座 第6回「デリバリー風俗の夜明け」】

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未来を見据えた進化系
安全・安心のニューデリヘル!

上・「コートの下はノーパンノーブラ」など扇情的な三行広告も。下・外国人風俗も多かった

 

◯街の浄化作戦で無店舗型主流に

 しかしパンマ以降、デリバリー風俗は伸び悩んだ。というのは、当時はトルコ風呂にちょんの間、ピンサロなど店舗型風俗が主流で、その状況は80年代まで続くことになる。そこに風穴を開けたのが『ホテトル』の登場だった。

「ホテトルは、『マントル』と呼ばれたマンションの一室を使ったトルコ風呂、つまりマンションちょんの間が、摘発を逃れてその場所をホテルに移したもの。現在でも本番デリヘルをこう呼ぶ場合もあります。しかし、現在のデリヘルと決定的に違うのは、公安委員会にきちんと届け出ているかいないかです。80年代、新風営法施行によって、本番ナシのヘルスが続々と誕生する中、本番したい客は少なくなかったということでしょう」

 多々野氏はそう解説する。現在の通称である『デリバリーヘルス』が誕生したのは90年代後半だ。当時、風俗業界は店舗型ヘルスやイメクラが人気で、雑居ビルやマンションでも営業をしていた。その影響でテナント不足となり、「それなら派遣型のヘルスを」と考えられたと言われている。そして、98年の法改正によって届け出が義務づけられた。

 大きな転機が訪れたのは2004年だった。それまで隆盛を誇っていた店舗型ヘルスの多くが闇営業で摘発されると、デリヘルへと転業したのだ。インターネットのホームページで店や女のコを紹介し、電話で予約を受けて女のコを派遣するという、現在のスタイルが定着した。

 しかし、ITを活用したデリヘルに対し、時代に逆行するアナログデリバリー風俗が話題に上がるようになった。ピンクチラシと三行広告風俗である。ピンクチラシは、モデルやタレントの写真を無断使用し、電話番号だけを載せたチラシを繁華街の電話ボックス中心に貼って集客する本番デリヘルだった。

 三行広告風俗は、スポーツ紙や夕刊紙の三行広告欄に、『NN(生中だし)』や『ヒミツの空間(大人のパーティー)』など、隠語や扇情的な広告を載せ、その怪しさから実話誌でも潜入ルポが多く取り上げられることになった。 しかし、ピンクチラシは売春防止法で検挙され、三行広告も自粛などで、現在は大幅に縮小されている。

 そして、まだ記憶に新しい2011年頃から流行り始めたのが激安デリヘルである。有名激安デリヘルグループは一時、全国まで拡大したが、その後、写真と本人の差が大きいと、苦情が当局に寄せられるなどし、売春防止法容疑で検挙。バブルが弾けた様に一気に縮小してしまった。

 その反省から、現在のデリヘルでは修正写真は激減し、「風俗店からサービス業へ」という意識改革が進んだこともあり、客も嬢も適正料金で安心して遊び、働けるデリヘルへと変化している。このいい流れが2020年以降も続いて欲しいものだ。

 

 

(記事引用元=ズバ王

 

 記事執筆◯松本雷太:フリーライター歴16年。イメクラ好き、ちょんの間好きの店舗型指向だが、当然、最近はデリヘル主流に。3年ほど前に比べると本番嬢は激減したと感じる五十路ライター。共著『死ぬまでに行きたい! 首都圏裏風俗編』が近著。

 

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