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【昭和ストリッパー列伝!!】なんと本番中の舞台袖に産婆さんが待機して出産待ち?!個性派・豪傑・思い出の踊り子秘話を、日本最後のストリップ芸人が語り尽くす!!【松本格子戸のストリップ舞台裏】

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前代未聞!舞台の上で出産シーンを企画!?

◯舞台袖に産婆さんが待機して出産待ち!?

 今回は僕がストリップの世界で生きてきた30数年のエロ歴史の中での「個性派・豪傑・思い出の踊り子さん」について。

 まずは、何と言っても僕、松本格子戸の母親・ミレーヌメリー。またの名を初代松本みどりについて。

 昭和42年12月1日に僕、松本格子戸は京都の某劇場の楽屋にて産声をあげました。1日と言えば、ストリップに限らず興行の世界においては初日です。本来なら僕は昭和42年11月21日~30日までの『前代未聞、空前絶後の出産ショウ』で産まれて来なければいけなかったのです!

 お母ちゃんは十月十日の腹で踊っていて、その興行の10日間は舞台の上手袖、下手袖に産婆さんをスタンバイさせて、演目中いつその時が来てもいいように、準備万端だったそうです(笑)

 その光景を想像しただけで、笑いがとまらない訳でして。とてもじゃないですけど、今のストリップ界では絶対にあり得ない興行で、後にも先にも実現不可能な、とんでもない興行というか演目をやってのけたお母ちゃんはやっぱり偉人だと思うのです。

 19歳ですよ、僕を産んだのが。ということは、18歳の時に所属事務所もない、何の後ろ楯もないお嬢ちゃんが海千山千の百戦錬磨の強者しかいない当時の京都のストリップ劇場のドンに対して『前代未聞、空前絶後の出産ショウ』の企画を出しに行くのですから、並みの心臓ではないですな(笑)

 興行内では結局産まれて来ず、「残念だったねぇ……」なんて言いながら、楽屋で片付けをしていた午前4時に「あいたたた」と陣痛が始まり、あっという間に「スポーン!」と出てくるというオチまでしっかりつけるという徹底ぶり。自分の母親ながら脱帽です。

 僕が中学に入るまでは踊り子を続けていました。日舞の名取でもあったため、ほとんどの演目は『日舞◯◯ショウ』でした。◯◯は、残酷だったり、放尿だったり、獣姦だったり、レスだったり、双頭だったり、生板だったり、いろいろです。

 要は『変態ショウ』の先駆者と言っても過言ではないでしょう。そんな【変態ショウ】を今、僕が企画したり、司会したり、プロデュースしたりしているのは、やはり血は争えないということなのでしょうかねぇ(笑)

 

◯何よりお客様を大切にした姐さん

「お客様を大切にする」という舞台人として、踊り子として当たり前のことを一番大切に表現された踊り子さん、白鳥マコ姐さん。

 今でも演し物として、かろうじて残っているタッチショーがメイン。昔は「関西本番マナ板ショーの女王」と謳われ、その後は「関西タッチの女王」として君臨され、日本全国、北海道から九州まで各地に熱狂的なファンの方々が大勢おりました。

 このマコ姐さん、踊り子さんなのに、踊りを踊らず、いきなり場内暗転、ミラーボールのみの照明の中「続きましてのステージは白鳥マコ、タッチショーです。拍手でお迎えください!」という照明係のアナウンスのあと、いきなり走って舞台に登場、走って客席にダイビング。当時のユーロビートやディスコミュージックをガンガンにかけて、全身ボディタッチショーの始まりです!

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