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【外人ストリッパー悲喜こもごも?!】初日から落日までの丸10日間、踊り子さん全員とヤッちゃいました♥ 日本最後のストリップ芸人が語り尽くす!!【松本格子戸のストリップ舞台裏】

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毎日色んな国々の ストリッパーと…

 人間同士の付き合いですから、言葉は大事でした。ただ「挨拶」と「レコードください」くらいを覚えておけばいいんですけどね。コロンビアやチリなど南米系の踊り子さんの母国語はスペイン語。

・ブエノスディアス(こんにちは) ・コモエスタセニョリータ(ご機嫌いかが?) ・アブラハポネス?(日本語話せますか?) ・レコードポルファボール(レコードをください)  だいたい、ここら辺を押さえておけば大丈夫ですね。フィリピンのタガログ語もしかりです。 ・マガンダンアラウ(こんにちは) ・クムスタカ?(お元気ですか?) ・サアーマット(ありがとう) ・マイレコードカナ?(レコード持ってますか?)

 他はボディランゲージで何とかなるものでして、初日に初めてお会いする外人ストリッパーさんとは、この程度の会話をしておけば、10日間も何とか乗りきれます(笑)

 ボディランゲージも簡単です。お客様との本番マナ板ショーですから、それを説明するのには両手を前に出して手前に振るだけ。フェラにしても同じく、片手で輪っかを作り口の前で行ったり来たりするだけ。

 昔、神奈川県のある劇場で『オール外人大会』がありまして、何かの手違いで僕がピンで司会をやることになりました。その週は楽屋に日本人がおらず寂しい思いもしましたが、終演後はイイ思いをさせて頂きました。

 何たって外人さんはセックスに関してはやたらと情熱的で、僕の寝込みを襲ってきまして、舞台や個室で1日に何人ものお客様と交えているはずなのに、夜になると僕の身体を求めてくるのです。

 その週は10人の踊り子さんが出演。勘のいい方は、もうお分かりでしょう。ストリップの興行は10日間。そうです、初日から楽日まで全員の踊り子さんとしちゃったわけです(笑)

 当時は僕も20代前半のやりたい盛りの野獣みたいなゴロツキ芸人ですし、据え膳食わぬは男の恥ですから、そりゃもう。

 違う国の踊り子さんが集まるわけですから、言葉や文化、生活水準や環境の違いで喧嘩もありました。よく仲裁に入って、肩や腕を噛みつかれました。言葉が通じないから、喧嘩してもお互いがちんぷんかんぷんなのです。でも、お互い怒ってます。何たってスペイン語とタガログ語と日本語、それも関西弁の戦いですから酷いもんでした。

 外人ストリッパーの芸名って、面白いもので、ほとんど統一されておりまして。ロビン、ナターシャ、スザンヌ、パトリシア、ジェニー。これがコロンビアやチリの南米系の踊り子さんの芸名。ジーナ、ジェミニ。これがフィリピンからの踊り子さんの芸名。

 とある踊り子さんが全然舞台が出来ずに、キャンセルされました。  仮にナターシャ嬢としましょう。 「あのナターシャ、全然アカンから違うナターシャ寄越してなぁ、頼むわ!」 「えらいすんまへん! すぐナターシャからナターシャに変えますわ」  などという、世間ではとんちんかんな会話がありました。言うたら、日本の古き良き時代の話ですね。

松本格子戸(まつもとこうしど)

昭和62年にストリップ芸人としてデビュー。以来28年間、その激動の業界を逞しく生き抜き、現在も年間200日は各地のストリップ劇場の舞台に立つ日本最後のストリップ芸人。また、ストリップ以外にも、ドラマや映画、Vシネマなどの映像作品への出演、フェティッシュ系イベントのプロデュース&司会、インターネットTVのMCなど、その活動範囲は多岐に渡る。

文=松本格子戸(記事引用元=ズバ王

 

 

 

 

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