子どもの頃、私の身体はいつも汚れていました。
家はゴミ屋敷のようで、洗っていない服やお皿が山積み。
数週間前の夕食の残りが放置され、 その下に小学校の教科書やノートが埋もれている、 そんな家庭で育ちました。
私がこの街、吉原に初めて足を踏み入れたのは美術学校在籍中…22歳の時でした…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記③
学校は休みがちだったけど、時々行くと「臭いから近寄るな」 とイジメの対象となり、 トイレ掃除で使うデッキブラシで殴られました。
私は人に触れられたかった…。
友達が欲しかった、それだけの事が叶いませんでした。
人前で裸となる性風俗の道を選んだ私は、 普通とはカタチの違う愛情のようなモノをその場所に求めていたの かもしれません。
今回訪れたのは、横浜福富町ソープ街。
JR桜木町駅から徒歩10分程。
4月はじめ、 野毛都橋商店街ビルは大岡川に桜が咲き乱れ賑わっていましたが、 川を越え直ぐの場所にある福富町ソープ街は静まり返っていました 。
人通りは殆どなく、暗闇にネオンが灯り空気はとても重い…。
時代に取り残されたようなビルがずらりと並んでいます。
街の歴史を辿ると、この一帯は戦災で焼け野原となり終戦後、 福富町周辺には米軍兵士が暮らす『かまぼこ兵舎』 がずらりと建てられていたそうです。
米軍から土地が返還されたのは1952年。
横浜でも有数の歓楽街へと成長し、 1960年代にはトルコ風呂が福富町西通を中心につぎつぎと建設 されました。
高度成長期、 この街はグランドキャバレーなども多く建ち並び大変賑わっていた そうです。
またこの周辺は74歳まで街頭に立ち続けた“伝説の娼婦” ハマのメリーさんがいた場所としても知られています。
私はメリーさんのように娼婦である事を貫き通す事は出来なかった けど、 性風俗にまつわる様々な事柄を私なりの視点で人生をかけて伝えて いきたいです。