「東電OL殺人事件」のあった1997年3月、私は円山町でホテトル嬢として働いていました。
事件は東京電力の社員だった女性が、渋谷区円山町にあるアパートで殺害された未解決事件です。
その頃私は吉原での接客に疲れ果て、渋谷界隈でホテトルやホテヘルといった仕事を転々としていました。
事件のことは衝撃でしたが、私には遠い世界の出来事のようにも感じていました。
殺害されたOLは慶大卒のエリート。
一方で私は学力的には小学生並みの根っからの落ちこぼれです。
会社で働くなど夢のまた夢でした。
その頃の私はひどい摂食障害に悩まされ、人前で食事ができなくなっていました。
コンビニで食べ物を買って、食べる場所は東急などデパートのトイレ。
便器に座っておにぎりや菓子パンなどを大量に食べ、そのまま吐くということを繰り返す。
精神も肉体もボロボロでした。
肌も醜く荒れ、化粧を厚く重ねてなんとかごまかそうと必死でしたが、お客からは気味悪がられていたと思います。
あれから25年という年月が経ちましたが、殺害現場となったアパートはまだそのまま残っていると聞き、現場へと行ってみました。
井の頭線神泉駅から直ぐの場所に、まるで時が止まったような古いアパートが残っていました。
一階には「まん福亭」という呑み屋が入っています。
アパートの裏側にまわると、入口にはゴミが散乱し荒れ果てた状態、まるで殺害された女性の思いがこのゴミ溜めの中で渦を巻いているかのようでした。
そしてホテル街から現場まで来る途中には寂しげなお地蔵さんがポツンと佇んでいます。
何故だか気になって写真を撮りましたが、後に調べたところ、この道玄坂地蔵を背にして通る人に「セックスしませんか」と声をかけていたそうです。
井の頭線の終電で菓子パンを食い散らかし、円山町の暗がりで立ち小便をしたという彼女。
私とは真逆の女性と当時は思っていましたが、知れば知るほど、まっさかさまに堕ちていった彼女に私は自分の人生を重ね、胸が熱くなる思いでした。