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蜃気楼のごとく出現し「日本一不滅のセックスゾーン」と言われた風景…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.15〜「雄琴ソープ街」

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一年半前からYouTubeで過去の風俗体験記について話していますが、はじめて3ヶ月ほど経った頃
現在の風俗業界のことを知りたくなってきました。
とは言っても50歳手前だった私を雇ってくれるお店があるのか…まずは熟女風俗募集で検索。
すると「‎40代 · ‎50代大活躍・ぽっちゃり OK・高収入バイト情報」など出てくる出てくる。
ですが私のような痩せ細った熟年女を雇ってくれるのか半信半疑。
そんな時「レベルの低さ日本一の風俗 鶯谷デッドボール」70歳まで採用と書かれた募集記事を発見。
ここなら雇ってくれるかもしれないと、早速電話をかけて面接へと向かいました。

場所は鶯谷から数分の古いマンション、そこは事務所兼女の子の控室となっていました。
デットボールという名前だけあって体育会系の男性スタッフが数人
控室には60代くらいの女性が2人テーブルを囲んで待機していました。
面接ではまず「歯はありますか?と聞かれ戸惑いながらもありますと答える。
後に知りましたが、このお店は総入れ歯の女性が話題となってブレークしたとか。

以前の風俗経験を聞かれ、17年程前に吉原のピカソで働いていた事を伝えると
ウチ安いけど大丈夫?」と心配され、あなたはタイプ的にデットボールというよりは
鶯谷のお母さん」の方だね、その方が取り分も少し高いからとすすめられ早速写真を数枚撮り体験入店。
久しぶりの風俗、男性の前で裸になることすら数年振り・・。
ですが、結局風俗に復活することはありませんでした。
理由はいろいろですが、自分の体力の無さを改めて実感したというのが一番大きな理由です

今回訪れたのは琵琶湖の西岸にある「雄琴ソープ街
ソープ街が出来たのは1971年「花影というお店が1号店だという。
吉原などソープ街の多くは、遊廓から戦後赤線の歴史を辿る地域がほとんどですが、雄琴は田園地帯だったそうです。

ひなびた温泉地にあたかも蜃気楼のごとく出現し「日本一不滅のセックスゾーン」と言われた
雄琴ですが、建物は老朽化し70年代で時が止まったようなノスタルジックな風景が広がっていました。
1983年瀬川昌治監督「トルコ行進曲 夢の城」の舞台にもなった場所です。

紅子10代で売春婦となり吉原、川崎堀之内、歌舞伎町、など関東各地の風俗街を13年以上転々。現在は色街写真家として、風俗街、赤線、遊郭跡地などを訪れ、日本の性文化を記録する。過去の風俗体験を語る『紅子の色街探訪記YouTubeで配信中
子どもの頃「絶対にあそこには行ったらダメ」と言われた場所とは…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.14〜現役の青線と呼ばれる青森「第三新興街」
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