一年半前からYouTubeで過去の風俗体験記について話してい ますが、はじめて3ヶ月ほど経った頃
現在の風俗業界のことを知りたくなってきました。
とは言っても50歳手前だった私を雇ってくれるお店があるのか…まずは熟女風俗募集で検索。
すると「40代 · 50代大活躍・ぽっちゃり OK・高収入バイト情報」など出てくる出てくる。
ですが私のような痩せ細った熟年女を雇ってくれるのか半信半疑。
そんな時「レベルの低さ日本一の風俗 鶯谷デッドボール」70歳まで採用と書かれた募集記事を発見。
ここなら雇ってくれるかもしれないと、 早速電話をかけて面接へと向かいました。
現在の風俗業界のことを知りたくなってきました。
とは言っても50歳手前だった私を雇ってくれるお店があるのか…まずは熟女風俗募集で検索。
すると「40代 · 50代大活躍・ぽっちゃり OK・高収入バイト情報」など出てくる出てくる。
ですが私のような痩せ細った熟年女を雇ってくれるのか半信半疑。
そんな時「レベルの低さ日本一の風俗 鶯谷デッドボール」70歳まで採用と書かれた募集記事を発見。
ここなら雇ってくれるかもしれないと、
場所は鶯谷から数分の古いマンション、
デットボールという名前だけあって体育会系の男性スタッフが数人
控室には60代くらいの女性が2人テーブルを囲んで待機していま
面接ではまず「歯はありますか?」
後に知りましたが、
以前の風俗経験を聞かれ、
「ウチ安いけど大丈夫?」と心配され、
「鶯谷のお母さん」の方だね、
久しぶりの風俗、男性の前で裸になることすら数年振り・・。
ですが、結局風俗に復活することはありませんでした。
理由はいろいろですが、
今回訪れたのは琵琶湖の西岸にある「雄琴ソープ街」
ソープ街が出来たのは1971年「花影」
吉原などソープ街の多くは、
ひなびた温泉地にあたかも蜃気楼のごとく出現し「
雄琴ですが、
1983年瀬川昌治監督「トルコ行進曲 夢の城」の舞台にもなった場所です。
子どもの頃「絶対にあそこには行ったらダメ」と言われた場所とは…男のアソコではなくカメラを握りしめ風俗街を歩き続ける元風俗嬢〜紅子の色街探訪記vol.14〜現役の青線と呼ばれる青森「第三新興街」