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『ユメノクニ』から『川崎フラ系』まで…ニッポン風俗の影の立役者『ピンサロ』の起源に迫る!!【松本雷太のニッポン風俗史講座 第8回「庶民の味方ピンサロ」】

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便器の水を飲んで口内発射!? 
ひとりの店長が業界を変えた!

 

◯生き残りをかけた新たな風俗の時代

 大阪から始まったピンサロブームは東京にも移ってきていた。ピンサロブログを配信するY氏(50歳)は、70年代以降の東京のピンサロ事情をこう語る。

「1968年に『ハワイ』が誕生して数年後には吉祥寺に本サロができていました。その頃にはぼったくり店も増えていたせいか、75年頃からピンサロへの摘発が急増したんです。それに加えて、ニュー風俗が登場する80年頃には、そちらに人気を奪われて、ピンサロ人気は下火となってしまいました。

 この頃ピンサロは、ピンサロか本サロか、2つの道を選択する岐路に立たされていたんです。ピンサロの道を選んだ店は、『花びら回転』や『口内発射』という新たな秘策を取り入れ、本サロの道を選んだ店は、後のNK流等へと繋がっていきました」

 そして、1990年以降にはニュー風俗がさらに多様化し、単にヌクだけでなく、性的嗜好を満足させてくれる店を選ぶ時代に突入していった。固定ファンをつかんではいたももの、往時ほどの人気を得ることはできずにいたピンサロに再び注目が集まったのが2007年のリーマンショック後だった。

「景気が悪化する中で、デリヘルだとプレイ料金とホテル代で2万円もかかってしまうのに、ピンサロなら5000円で済む。しかも、花びら回転なら複数の女のコと対戦できる。そしてこの頃には店の分派も進んでいました。例えば、最大手は『フラ系』と呼ばれる『川崎フラミンゴ』の系列店で、その対抗馬が、実は同系列でありながらも『レモン系』と呼ばれる店です。どちらも大きな違いはありません。好みの問題でしょうか(笑)」(Y氏)

 そして筆者はこの先、ピンサロに対して大きな危惧を抱いている。2020年を控え、過去の事例で考えてみると、国際イベント前に摘発されやすいのは、〝ハデな看板を出している違法風俗店〟だった。その基準に当てはまるのがピンサロなのだ。オリンピックイヤーを前に、ニッポン風俗の大きなレジェンドが消えることのないよう願いたい。

(記事引用元=ズバ王

 

 記事執筆◯松本雷太:フリーライター歴16年。イメクラ好き、ちょんの間好きの店舗型指向だが、当然、最近はデリヘル主流に。3年ほど前に比べると本番嬢は激減したと感じる五十路ライター。共著『死ぬまでに行きたい! 首都圏裏風俗編』が近著。

 

 

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