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【新連載開始!・宍戸里帆の淫鬱な楽園Vol.1「つぼみの咲く頃に。」】つぼみ論の決定版を宍戸里帆が執筆! 甘く切ない幻想作からその魅力を解剖! 「一番近くて、一番遠い」存在だったつぼみの終着点とは?

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現役女子大生AV女優として3月にMOODYZからデビューした宍戸里帆ちゃん。デビュー前からAV女優への憧れや、これまでの道程をnoteで執筆していただけに、メディアでの本格的な執筆活動が待たれていた存在だった。

その里帆ちゃんが当サイトで待望のコラムを開始! テーマを決めずにアダルトに関するあらゆる事象を里帆ちゃん独自の視線で迫っていく。

初回のテーマは先日惜しまれつつもAV女優を引退をしたつぼみちゃんの魅力について言及。過去の作品から彼女の存在理由をひも解いた。誰もが書けなかったつぼみ論の決定版がいまここに登場!

 

宍戸里帆的「つぼみ」論

彼女を初めて見たその瞬間から、時は止まり、永遠になった。
彼女は今まで見てきた他の誰にも似ていなかった。
彼女の名前は、「つぼみ」と言った。

皆さまはじめまして!
この度、『デラべっぴんR』でコラムの連載をさせていただくことになりました、『MOODYZ』専属の新人AV女優、宍戸里帆と申します!
3月1日にデビューしたばかりのひよっこの私ですが、このような機会を与えて頂きとても感謝しています。
簡単な自己紹介をすると、私は現在都内の大学に通いながらAV女優として活動しています!
AV女優は中学生の頃から興味を抱いていた職業であり、自ら今の事務所に応募してこの世界に足を踏み入れました。
詳しい経緯や私自身のことについては全て↓のnoteにまとめてあるのでそちらをご覧頂ければと思います。

りぽ@AV女優になった大学生(宍戸里帆)|note
はじめまして、りぽです。 "モザイクの向こう側"に行った女子大生の記録です。 Twitterも是非覗いて見てください☺︎ AV女優・宍戸里帆として活動中です!

また、本連載の趣旨等も次回以降のコラムで書いていく予定です!

いつにも増して雑な自己紹介になってしまったのは、あくまでも今回のコラムの主役は私ではなく、先月惜しまれつつも業界を引退したAV女優・つぼみさんであるからです。
このコラムを執筆している今現在での最新作『つぼみん逆バニーめちゃイキ風俗フルコース ぴょんぴょん中出し連射だピュー!』では、今流行りの「逆バニー」のコスプレをしたつぼみさんを見ることが出来ます!

 

つぼみん逆バニーめちゃイキ風俗フルコース ぴょんぴょん中出し連射だピュー!

 

ちなみに私も先日撮影で逆バニー着ました!

 

流行りの衣装で熟練の技を披露してくれる本作は、往年のつぼみファンはもちろん、流行に敏感なユーザーにも受け入れられる一本であることは間違いありません。
ですが、これから私がレビュー? 紹介? 分析?するのはこの作品ではなく、今から6年前に発売された、彼女の計600本を超える作品の中のとある一本についてです。

(以下、体裁の都合上、所々敬称略でお送りします)

その前に、なぜ私がつぼみさんのAVについて書こうと思ったのかについて、少しだけお話しさせてください。
私の曖昧な記憶を辿ると、中学生の頃にAVというものの存在を知ってから、それとほぼ同じタイミングでつぼみさんについても認知していたと思います。

そして、奇しくもつぼみさんは私がデビューを発表した月に引退を表明されたAV女優さんであり、私達は『MOODYZ』というメーカー内を入れ替わるようにしてすれ違っていきました。
16年という異例のキャリア、その一挙手一投足を全て網羅しているわけではない私が彼女について語るのは10年早いと思われるかもしれません。
しかし、彼女がこの業界、いや、“つぼみ”がこの世界からいなくなった今だからこそ、皆様に紹介したい作品があるのです。

 

今回の連載自体、AV作品やAV女優さんについて語るコラムにしようという前提はありません。
それゆえ、次回からは全く異なるテーマになることも予想されています。
ただ、私はどうしても、今、彼女について書きたい。書かなければならない。
これほどまでに「書きたい」という自身の衝動を突き動かすのは、後にも先にもつぼみさんしかいないと感じているから、連載第一回目にも関わらず、このコラムの趣旨や自分自身の話を後回しにして、彼女の素晴らしき“楽園”の話を始めようとしているのです。

 

僕のチ○ポに絶対触ってくれないつぼみちゃん

今回紹介したい作品というのが、2016年にワンズファクトリーさんから発売された『僕のチ〇ポに絶対触ってくれないつぼみちゃん』(監督:きとるね川口)です。

今から約6年前の作品という事実が信じ難いほど、つぼ様の“終身名誉処女”ぶりが炸裂しています。
FANZAの商品説明欄には「つぼみ史上一番近くて、一番遠い。」の文字。
確かに、この文句を文字通りの意味で再現した点は“AV史上初”の試みかもしれません。
しかし私は、そもそも“つぼみ”というAV女優の存在自体が最初から最後まで「一番近くて、一番遠い」ものであったと感じています。

想像してみてください。
少女のようなルックス、長く美しい髪、華奢な身体。
彼女だけはずっと変わらないでいてくれるという根拠のない安心感。
自分から何かをしようという意志を持たないからこそ、どんなことでも受け入れてくれる寛大さ。
永遠に僕らのそばにいてくれるようで、触れようとしたら最期、瞬く間に消えてなくなってしまうような、残酷なまでの儚さ。
幻みたいで、現実さえも曖昧にしてしまう存在感。
これらの要素が彼女を「一番近くて、一番遠い」と感じさせる所以であると思うのです(※1)。
これまで何となく感覚として捉えていたこの象徴的なイメージですが、彼女が引退を表明した今、それらは確固たる事実として我々の心にくっきりとした輪郭をおとし始めました。
そんな今だからこそ、この「一番近くて、一番遠い」というつぼみの本質に迫った本作を取り上げるべきだと考えるのです。

作品のあらすじですが、“つぼみちゃん”の大ファンであるしがない中年男性が彼女に会いたいと念じながらオナニーをしていると、発射の直前で突然目の前に大好きなつぼみちゃん本人が現れます。
しかし、つぼみちゃんは触れると消えてしまう仕様のようで、二人はどうにか触れ合わずに快楽を得るため試行錯誤するという内容になっています。
この説明だけを聞いても、本作が所謂、”ヌくためのAV”ではないことは誰の目にも明らかでしょう。
一応は究極の「焦らしプレイ」という体を繕っていますが、本気でヌキにかかってきているタイプの焦らしプレイ作品とはまた毛色が異なっています。
この「焦らしプレイ」というのはコピーを飾るための建前にすぎないのであり、言わばつぼみを使った盛大なおふざけとも言えるでしょう。
ただ、本作品を「ヌケない」と吐き捨てるのはとても容易なことですが、それと同じくらいにナンセンスなことでもあると思っています。
何故なら、この作品はそのような一面のみに執着するにはもったいないくらい多くの点で優れているのであって、本作の真価はプレイとはまた別の部分にあると私は感じているからです。

 

僕のチ○ポに絶対触ってくれないつぼみちゃん

まず、このAV、驚くべきことに作中のほとんどでつぼみちゃんが触ってくれることもなければ、つぼみちゃんに触れることも許されません。
なぜなら、そうすることによって彼女は“消えてしまうから”。
注目すべき点は、「なぜ触れると消えてしまうのか」 という最大の疑問に対し、つぼみは「それがルールだから」との一点張りで、最後まで明確な理由を教えてくれないところです。
触れてはいけない理由に安っぽいメロドラマ的展開を持たせず、それ以下でもそれ以上でもなく、ひたすらに“ルール”の中で収束するストーリー。
この「鶴の恩返し(※2)」にも似て少々強引にも感じられる設定の付け方が、つぼみ本人の謎めいたキャラクター性や、ひたすら受け身に徹する従順なイメージと重なる点で秀逸なのです。
それに、“ルール”という絶対的な理由のみで突き通すことの本質的な“理由のなさ”には、つぼみ自身のこれまでの生き方とリンクする部分があります。

彼女は常々、AV女優になったことに対し「特に理由はない」と述べていました。
AV女優を引退することに関しても、これと言った理由はないのだそうです(※3)。
彼女にないのは理由だけではありません。
未練、執着、不安、嫉妬、疑心、欲望。
私たちが当たり前に持つこれらの煩悩、その全てをいつからか何処かに置いてきてしまった、そう自身の著書の中で淡々と綴っています(※4)。
そう。
つぼみには、“何もない”のです。
そんな極限まで何も持たないことによって生まれる、理屈を超えた精神的な強さ。
そのまっさらな身体が唯一無限に内包しているのは脅威的な受け身のエネルギーであり、そこに無垢なる神聖さを感じると同時に、暴力的なまでの畏れすら抱きます。
私たちが彼女の微笑みを見たときに感じる底しれぬ安堵感の正体とは、仏のアルカイック・スマイルを拝んだ時に感じるそれと同じであって、“つぼみ”とは、見えない鎖で繋がれているようでいて全ての常識を逸脱している、実はこの世で一番“自由”な存在なのです。

僕のチ○ポに絶対触ってくれないつぼみちゃん

そして今回あえて特筆したいのは、男優の誇張した演技。
これが現在では批判の対象になっているのが私としては非常に悔しいところです。
男優の存在や気配は常に目障りだという主張をされてしまえば元も子もないのですが、この作品ではつぼみの尊さや儚さとのコントラストを強調するためにも、画面内には存在感の強い男優が絶対的に必要なものだったと思っています。
そして、あえてユーザーの笑われ者・嫌われ者を買って出る。
言わば、彼は“道化”なのです。
その点で本作の男優批判は制作側の予想の範疇に留まっているのかもしれません。
(それがAVである以上)むしろ、男優でも何でも画面内の利用出来るものは全て利用し、狙うは女優の魅力をどう引き出すか。
彼が道化に徹することで、どんな男に対しても無償の愛を持ってひたむきに接する“つぼみ”の神性が引き立ちます。
少し大袈裟で、ちょっとキモいくらいがつぼみとの相性が良いのはもちろん、彼=僕らにとっての“大好きなつぼみちゃん”の愛しさがより一層際立つのです。

また、本作が感動の押し売りになっていないのも彼の功績が大きいと考えます。
作品の最後でつぼみは彼女の“在るべき場所”、画面の向こうの“楽園”に帰り、二人が現実世界で結ばれないことが示唆されます。
彼女が映るテレビの前に下半身丸出しで呆然と立ち尽くす男。
何度会いたいと願っても、何度彼女の名前を読んでも、もうつぼみは帰ってこない。
つぼみがいなくなった世界を認められない、僕らのこの強がりな心は、皮肉にも彼の滑稽さに共鳴し涙するのです。

さらに、本作が頭一つ抜けたフィクション性を突き詰めたことも評価に値するでしょう。
今も昔もAVの定番は“普段ではあり得ないことが起こっている”という現実離れした状況です。
しかし、本作ではそれをさらに超えた“何か不思議な事が起こっている”と感じさせる要素に満ち満ちています。
つぼみがある種の超常現象のような事象として描かれていることを筆頭に、本編とは直接関係がないにも関わらず挿入される意味深な月のイメージや、つぼみがどこからともなく取り出すマジックハンドコキマシーン(※5)、胡散臭さを感じさせる怪しげなBGM。
これらの要素の数々が本作の持つ摩訶不思議な世界観を一様に保っており、画面内のみならず、ひいてはこのAV全体が“トリック”であると錯覚させます。
我々は作品を通じ、“つぼみ”のいる世界という、永遠に醒めない夢を見させられているに過ぎないのです。

 

僕のチ○ポに絶対触ってくれないつぼみちゃん

私が本作を今でこそ見るべき優れた作品だと考える理由について。
それを設定・演者・演出のそれぞれの観点から自分なりに紐解いてみましたが、その全ては本作が「メタ作品(※6)」である事と深く関係しており、それこそが、今回皆様に伝えたかった最も重要なポイントでもあります。
本作でつぼみが演じたのは、AV女優・つぼみであり、本人役です。
そのため、随所で作品の中の自分が現実でのつぼみ自身であることを強調する台詞が目立ちます。
男の部屋に飾ってあった自分の出演作のポスターを見つけて「ああ、これ大変だったやつだ~」と呟き、マジックハンドコキマシーンで男を射精に導いた後「これ、良い! 今度現場で使おうかな!」と言ったり。

そんな作品の終盤、二人はようやく満足のいくセックスをするに至るのですが、ボルテージが最高潮に達した流れでうっかりキスをしてしまい(※7)、そのまま画面はフェードアウトします。
その後、オルゴールのような音楽とともにセーラー服姿のつぼみを正面から捉えた画面が映し出されます。
まるで白日夢のような映像の中、彼女はこちらに向かって言うのです。
「最後まで見てくれて、どうもありがとう」
これは画面の向こうにいる我々に向けた一言である事は間違いないでしょう。
本作が発売された当初は、きっとまだ誰もつぼみがAV業界から姿を消す日が訪れるなんて想像もしていなかったはずです。

正確には、誰にだっていつか終わりが来るのは分かっているはずなのに、彼女の場合はそれすらも感じさせない不変性で、私たちの思考はすっかり麻痺してしまっていたと言うべきかもしれません。
しかし今、この言葉が本当の意味で現実のものになろうとしている。
僕たちのそばから消えてしまうという設定も、消えてしまうことになんら理由がないのも、平等に愛を届けてくれた健気な姿も、その全てが夢だったと思わせる曖昧さも、この作品のなかで起きた全てがつぼみ自身とリンクしており、彼女のいないこの現実世界とも地続きになっています。
夢のような16年間、僕たちはその刹那に恋をしていたのです。

 

今回のタイトルは、「つぼみの咲く頃に。」とありますが、これは彼女がつぼみとしてAVデビューし、つぼみからの卒業という名の引退表明をした季節に由来しています。
また、私、宍戸里帆がデビューしたのもちょうどつぼみが咲き始める春の日でした。
そんな想い入れのあるタイトルですが、彼女自身の“つぼみ”が咲くといった意味を込めた訳ではありません。
彼女はこの“楽園”に生を受けた時から引退の瞬間までずっと、花を咲かせる前の“つぼみ”なのであり、咲かないからこそ散って枯れることもない。
つぼみのまま永遠になり、つぼみのまま作品の中で生き続けるのです。

この文章を書いている4月30日は、彼女が「つぼみ」として生きる最後の日です。
暖かな春の陽気に包まれて、この地球上の全てが彼女の門出を祝福しているかのような、とても穏やかな昼下がり。
そんな日が来るたびに、僕たちはきっと思い出してしまうのでしょう。
画面の向こうから僕らを見つめる彼女の微笑みと、作品の最後に彼女が残したこの言葉を。

「さよなら。私を好きになってくれて、どうもありがとう」

 

■注釈
※1:これらの要素をはらむコンテンツとしては「初音ミク」の存在も挙げられます。初音ミクとつぼみさんとの共通点は多いと考えています。
※2:新宿ロフトプラスワンで行われたつぼみの引退前最後のトークイベントにて、奇しくも彼女が音読した絵本は『鶴の恩返し』でした。
※3:最後のニコニコ生放送「つぼみ卒業式」における発言。
※4:つぼみ『わたしのこと。』2019年、二見書房刊、93ページ。
※5:男の性器に触れることなくして手コキが出来る画期的(?)なマシーン。先端にはオナホールが付いている。名前に関しては私が勝手に付けました。
※6:AV女優が本人役で出演する作品のこと。本作以外にも様々な女優が挑戦している。
※7:キスという接触がつぼみが消えてしまうトリガーとなっている。ただし、ゴムを装着したり、中出しをすれば、セックスしてもつぼみは消えないという無茶苦茶な設定もまかり通っている。

 

宍戸里帆(ししど・りほ)
生年月日:2001年10月14日
身長:153cm スリーサイズ:B86(Gカップ)・W59・H90
◉Twitter:@shishido_riho

(文・写真:宍戸里帆 協力:マインズ 構成:神楽坂文人

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