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【宍戸里帆の淫鬱な楽園Vol.2「消えないで、憂鬱」】アダルトの世界にまつわる事象を新人女優の宍戸里帆が連載!今回は「自慰行為後の憂鬱」を学術的かつ叙情的に分析!

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現役女子大生AV女優として今年3月に『MOODYZ』からデビューした宍戸里帆ちゃん。デビュー前からAV女優への憧れや、これまでの道程をnoteで執筆していただけに、メディアでの本格的な執筆活動が待たれていた存在だった。

その里帆ちゃんが当サイトで待望のコラムを開始! テーマを決めずにアダルトに関する事象を里帆ちゃん独自の視線で迫っていく。

注目の連載二回目は「オナニーにおける憂鬱」をテーマに独自の論法と研究成果を発表。誰もが赤面し語ることをはばかる自慰論を堂々と展開した。

 

第二回「消えないで、憂鬱」

「なにかが病的に剥落したユートピア」

阿部嘉昭は『AV原論』の中で、アダルトビデオの“部屋”を不完全な理想郷になぞらえる(※1)。
剥落しているものとは一体何か。

―それは女優という身体の原像。
何がAVをユートピアたらしめるのか。
―それは見る者の健全な憂鬱。

みなさまこんにちは、こんばんは。
宍戸里帆の“淫鬱な楽園”へようこそ。
先月掲載された記念すべき第一回目のコラムでは、いまでこそ見られるべきAVと、私なりの「つぼみ論」を生意気ながら語らせてもらいました。
第二回目となる今回は、前回、飛ばしてしまった自己紹介と、本連載の趣旨から始めなければなりません。

早速ですが、私、宍戸里帆について。

以前にも紹介したnoteを読んでいただけた方ならすでにご存知かと思いますが、私は現在都内の大学に通いながらAV女優として活動しています。

宍戸 里帆|note

去年、自らいまの事務所に応募のメールを送り、今年の3月から『MOODYZ』の専属女優としてデビューしました。
中学2年生の頃、初めてAVを見た瞬間に芽生えた「AVに出たい」という想いが、約6年の時を経て、いまこのような形でみなさまの前に存在しています。
つい3ヶ月ほど前まで、どこにでもいる普通の大学生だった(いまもそうなのだけど)私が、様々な物事を発信する立場にあることを思うとやっぱりまだ不思議な気持ちになります。

そしてこの連載の趣旨について。

まず、断っておかなければならないのが、このコラムがひとえに前回のようなAV批評やAV女優論に特化したものになる予定はないということです。

本連載は、アダルトビデオだけに限らない「アダルトの世界」にまつわるあれやこれや、その全てが私の目にはどう映っているのかをいまの自分が紡ぐ言葉で遺し、伝えたい、そしてあわよくばこの“淫らで鬱くしい楽園”へと貴方を誘いたい、そんな思いの上で成り立っています。
そろそろみなさん気になってしょうがない頃だと思うので、この“淫鬱な楽園”とは一体何なのかについてもお話します。

 

(自分で言うのも何ですが)この甘美で卑しいタイトルは、台湾の巨匠・侯孝賢の『憂鬱な楽園』(1996年)という映画からインスピレーションを受けたものです。
ただ、それだけではありません。
結論から言うと、“淫鬱な楽園”とは、私の目に映るAVの世界そのものです。

この話をする前に、話しておきたいことがあります。
先日、「AV被害救済法」がこの国で正式に成立しました。
この法律について思うことは沢山あるし、不安に感じている方も多い印象を受けています。
今回はAV新法について言及する記事ではないのですが、これから私が話すことと、この話題が少なからず通底を持っていることもまた確かです。
いまのAV業界を取り巻くこの現状を頭の片隅に入れつつ、私の文章を読み終わった時に、この法律が救済するのは誰なのか、私達を本当の意味で救済してくれたのは何なのか、そんなことをより多くの方々に考えていただけたら嬉しく思います。

それでは気を取り直して本題に戻ります!

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