――写真展開催を発表した時に「自分の生き方を否定したくない」、「女性の希望の光になるような展示にしたい」とコメントしていました。いまの世の中ではあえて「女性、女性」というのも古いですけど、川上さん自身の口から発せられると説得力のある言葉になります。
川上 福井から東京に出てきたときエステティシャンになるのが夢で、女性を幸せにする仕事がしたいという気持ちがあったんです。いまの時代だからこそ女性に伝えたい気持ちはいろいろあります。
――そういう意味で女性カメラマンじゃないと撮れないカットもあったんですか?
川上 浅草ロック座の写真はくまこさんじゃないと楽屋裏やステージの袖に入れなかったです。いまだに男性カメラマンでストリップ劇場のバックステージに入った人はいないんです。その中で踊り子さん一人一人に撮影許可を取っていくんです。同じ女性だったから抵抗がなく、その場に存在できたのかなと思っています。くまこさんでよかったです。
――カメラマンが女性、モデルも女性ということは必然の写真展だったんですね。
川上 そうですね。
――ほかにも熊谷さんならではの視点はありますか?
川上 私は男性に見せる顔と、女性に見せる顔が違う時があるんです。以前はAV女優であるから求められていると思って男性だと無意識に色恋のアタックをしている自分がいたんですが、今回は女性カメラマンだからそれはないんです。でも、どう血の通った写真が撮れるかは悩みました。
――それはどういうことですか?
川上 男性に対して依存度が高い時期があって、女性をちょっと警戒していた部分があり、女性に甘えることが難しかったんです。
今回、関わってくれたディレクターさんやデザイナーさんに写真を見てもらったら、「ポーズでいる写真が多い」、「愛想笑いしている表情もある」、「だから、心が揺れている写真がほしい」と求められたんです。
くまこさんには敬意や気を遣いすぎていたんだと思います。それはお互い様だったかもしれません。心を動かす写真を撮るということは、お互いにつらいところに入り込まないといけないじゃないですか。だから、私の地元にくまこさんと行き、3日間くらい川の字で寝て、親にも会わせたんです。あとはストリップ劇場に立っていた合間の1カ月ほとんど毎日写真を撮ってもらいました。
――まさに寝食を共にするですね。
川上 昔の思いや、つらい思い出も思い返し、心が動く作業をくまこさんが私のペースで向き合ってくれたんです。それをしたことでいままで撮られたことがない写真を撮られました。「川上奈々美」ではなく、私の本名の写真が撮れました。
――地元で撮った写真も展示されますか?
川上 はい。田んぼしかないんですが、私が心を動かしている瞬間を写真に収めてもらいました。くまこさんが面白いのはその後に「走ろう!」って言うんです(笑)。急に走るから面白くなるじゃないですか、そこから笑顔になって喜怒哀楽が撮れました。
――それを引き出す上手さが熊谷さんにはあるんですか?
川上 寄り添い型のカメラマンです。
――ネットで熊谷さんの顔を拝見したら穏やかな顔でイメージと違いました。
川上 穏やかですね。私と同じで負けず嫌いなところがあるのでぶつかったこともありました。
――どういう場面でですか?
川上 ものの伝え方、そういう次元まで話し合いました。それはお互いに身を焦がしながら撮影したからです。どうやったらたくさんの人が動いてくれるのか、写真展、写真集、クラウドファンディングの全てが手作りの状態から始めたので考えました。そういう経験をなかなか演者はしないので。制作にはどうお金が使われているのか、お金を出してくださる人はどういう気持ちで出してくれるのかなど、この目で見てきたので本当にいい勉強になりました。
――そうなると、「川上奈々美」であり、「川上なな実」であり、本名のご自身の集大成的な写真展になりますか?
川上 そうですね。写真集は掲載写真が決まったんですけど、写真展は私も設営時に初めて見るんです。どちらもセレクトはノータッチでくまこさんにお任せしました。