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【AV OPEN 2016 男優賞受賞記念インタビュー】田淵正浩さんがAV男優人生を語る!!「年間2~300人とやるから10年で2~3000人とエッチしてることになるんですけど…」体験人数1000人超えた先に見えるものとは…【前編】

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男優歴26年。体験人数8000人以上。そして、今年の開催された「AV OPEN2016」では男優賞を受賞というレジェンド男優・田淵正浩さんにインタビュー!!
AV男優を初めたきっかけかけや、今までお相手した数々の女優さんたちのことまで、前後編に渡ってたっぷりお話しをうかがいます!

きっかけはバイトの先輩から「オレ後輩ほしいからお前男優を一緒にやってくれ」って言われて…

--田淵さんのAV男優デビューはいつですか?

田淵正浩(以下、田淵)1990年の1月です

--キャリア26年になるんですね。最初は小林政宏の名前でしたよね?

田淵 田淵正浩で始めて、途中から芸名つけたほうがいいよと言われて小林政宏にしたんですけど、また本名に戻したんです。

--初めての仕事は覚えてますか?

田淵 鮎川真理さんの現場でしたね。

--僕もインタビューしました。ナースだった人ですね。

田淵 そうそう。エキゾチックな雰囲気の。

--男優業は最初から順調だったんですか?

田淵 いえいえ、僕はどっちかというと自己主張もあんまりないし、恥ずかしがり屋の人間で、最初の頃は勃ちが悪いし使い物にならなかったんです。
バブル景気は表向きは終わってるけど、僕らのアンダーグラウンドのほうでは96年くらいまでバブルが続いてたので、なんだかんだ可愛がってくれて仕事をいただきました。

--勃たないのは、やはりカメラ前ゆえに緊張して?

田淵 そうそう。勃つ勃たないは心の問題なんですね。だから若い時より中年の今のほうが勃つんです、余裕が持てて。

--男としてキャリアを重ねてきた結果。

田淵 人生のキャリアも女性のキャリアもあるし、いろんなテクニック、知識もあるから、右も左もわかんない坊やの時とまったく違いますね。
男優は皆さんそうなるはずなんです。あと、若い時みたいに不平不満を言わなくなってきますね。若い時って視野が狭くてすぐ文句言ったり諦めたりするけど、男優ってほとんど忍耐の仕事なんで、耐えて耐え忍んだらいろいろ平気になっちゃうんです。

--AV男優になったそもそものきっかけは?

田淵 横浜商科大学に通ってて、3年の時に代々木の人材派遣の会社に登録してたんです。工事現場に掃除とかセメント運びをやる人を送り込む会社でバイトをしてて、何人か知り合いができて、本名・オバタ、のちに芸名・ファイター裕という人に誘われたんです。彼がAV男優を始めて、「オレ後輩ほしいからお前男優を一緒にやってくれ」って。最初は僕、恥ずかしいからヤですってずっと言ってて。

--彼は何歳違いの人?

田淵 3つ上のお兄さん。変わってて、当時25~6歳だけど職歴が30種類以上ある。中卒で働いていたと思うんです。それで何度も仕事を変えていて、サーカスにもいたというマッチョな体型で。いつもアハハと笑ってる豪快なお兄さんだったので、男優っていうのは変わった人がやる仕事なんだなとずっと思ってました。たまに現場で会ったり、仕事紹介してもらったり、いいお兄さんだったんですけど、オバタさんは1年か2年ぐらいして「オレ向いてないから辞める」って愛知県に帰っちゃいました。

--辞めっぷりがいいんですね、30もの職種を経験している人は。

田淵 AV男優が一番長かった職業だと思います。本数はそんなに出てないと思うんですけどね。

>>次のページ 「可愛さと色気の混在はAVの人しかいない」

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