本サイト名前の元であり、1985年の創刊以来日本のエロ雑誌の中心的役割を果たした伝説の雑誌『デラべっぴん』
“もっと女を愉しみたいマガジン”というキャッチのもと様々な企画で僕らを楽しませてくれた。
その歴史を日本一のデラべっぴんマニアである“DBM”氏(れっきとした一般の方)にその貴重なバックナンバーとともに振り返ってもらった…。(第7回)
(第1回)(第2回)(第3回)(第4回)(第5回)(第6回)
デラべっぴんマニアことDBMです。こちらに書くのは2年ぶりです。40過ぎてもエロ本とオナニーが大好きです。皆さんは40を過ぎてもオナニーに励んでいますか? 私は励んでいます。
ところで私事ですが昨年、我が心のエロの師匠(と一方的に私が慕って「御大」と呼んでいる)である元・デラべっぴんの編集、某Hさんへ「是非お会いしてお話を伺いたいです!」と一方的にラブコールを送り、(私が勝手に)夢にまで見た直接の対面を果たしたのでした。
デラべっぴんに完全にヤラレて30年、そのエロの魅力に還らぬ人となった一人の男としては、人生の目標の一つが達成できて本当に嬉しい出来事でした。
編集Hさんとは、1987〜92年頃のデラべっぴん隆盛期の「フォト激画」や「間違いを探せ!」などのカラミ企画を起案(かつ出演)され大ヒットさせたり、入社1年目で70ページ担当したり(挙げ句2ヶ月失踪したり)、ムック本「MOMO」を「5万部売ります!」と上司に言ったら「そんなに売れるか!」と怒られ1万5千部刷るも結果15万部の大ヒット成し遂げたりと、とにかく凄いお方なんです。(この時お伺いした時の記録は下記ブログ記事をご参照ください。)
▼30年の想いを経て (デラべっぴんマニア賢者タイム(テキストメイン別館))
すでに英知出版を去られたずっとあと、デラべっぴん休刊(2004年)の時の最後の編集長だったUさんをして「ミスターデラべっぴん」と呼ばれたHさん(私も本当にそう思う)。お話しをいろいろ聞かせていただいた中の、携わられた印象的な企画の回として「そういえばありました!!」と私の記憶の地層を掘り起こしました。それは「里穂ちゃんを探せ!」でした。
■デラべっぴんNo.73(1992年12月号) 「小林里穂の”ウォーリーを探せ!”」
当時絵本やNTTのタウンページのCMなど、メディアで大人気だった「ウォーリーをさがせ!」のエッチ版。主演は小林里穂。(ちなみにコーナー全体のタイトルは「小林里穂ちゃんが贈る、快感ターミネータークイズ集!」そう、これはそのコーナーの中の1つです。)
見開きで2ページにわたり、学校の運動会をイメージした舞台(イラストの上に無数のハダカの里穂ちゃん(泣))で、あちこちにあるハダカの女の子の中から設問の「里穂ちゃんの人数」などを回答する、というデラべっぴんならではの予想の斜め上を行く「おもしろエロ企画」。
ちなみに問題の中身は「白いパンティーをはいていて、メガネをかけ、両足に青い靴下をはいて、ぽインクのリストバンドをしている里穂ちゃんは何人?」「オナニーをしている里穂ちゃんは何人?」「里穂ちゃん以外に有名なAVギャルが5人います。その名前をすべて答えてください」といったもの。
買った当時はその奇抜な企画ゆえに戸惑い、探すべき里穂ちゃんを探すのそっちのけで、「エロ本は使うもの第一主義」の私は素っ裸で窓掃除しているいとうしいなや、校舎内でカラミをお愉しみ中のカットの方が気になってそれどころではありませんでした(笑)。
ちなみに当時編集だったHさんからは、どうしてもやりたい企画、と激推しされ印刷会社から「入稿を10日間早めてくれ!」とまで言われたそうです。凄い執念ですね(笑)。
オモシロ系エロなネタまみれのデラべっぴんにしかできない企画だったのではないでしょうか。
今回はこのへんで。
(文・DBM)
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