それ以降、毎月のようにこのぶっかけに応募して、つまらない日常の中で唯一の楽しみを見つけたんですよ
—— 男優になる前はどんなお仕事をされていたのですか?
中田 僕はちょうど第二次ベビーブームの世代なので、大学に行くのが当たり前だったんです。なので大学受験をしたのですが、全部落ちてしまいまして。予備校に行ったのですが、勉強そっちのけでパチンコをやるようになってしまって、今思うとパチプロだったと思います(笑)。
そんなとき、小劇団をやっている同級生のお父さんから、「手伝いに来てくれないか?」とお願いされて大道具として舞台に行ったんですね。そしたら、本番三週間前に主演の男の子と女の子が急に飛んじゃって、僕が代役として主演を務めることになったんです。
—— 大抜擢じゃないですか! 芝居経験はあったのですか?
中田 もちろん一切なかったです。そこで女の子の代役を務めた子と、のちに長年付き合って結婚を考えるぐらいになったりもしたんですよ。
—— 縁が凄い。
中田 でも結局、結婚式場が急に潰れて結婚式が延期になって、気が付いたら結婚自体なくなって別れちゃったんですけどね。それから劇団員として活動することになったのですが、演出家の人から「ウチは芝居一本でやっていたらダメだ。ちゃんと仕事をして生活基盤をちゃんと作ってから芝居をやるのが、役者としては一番いいから。」という話をされまして、無理矢理就職させられることになったんです。
—— どんなお仕事をされたのですか?
中田 日刊スポーツの広告代理店に就職しました。そこで仕事をしながら芝居を続けていたんですね。営業はやりたくなくて、「企画広報スタッフ募集」と書いてあったので入ったのですが、蓋を空けてみたらゴリゴリの営業だったんです。でもそこで、今の僕の礎になっている上司との出会いがありました。
—— 何歳ぐらいまでその生活を送ったんですか?
中田 26歳ぐらいまでやっていましたね。その頃に「俺は横須賀の劇団でやっているけど、東京でもやれるんじゃないか?」って欲が出てきちゃったんです。そこから2年ぐらいフリーで東京の色々な劇団を回って活動しました。28歳の時に、北区つかこうへい劇団のオーディションを受けて最終で落ちたんです。この時にもうこれ以上やってもダメだと思って、スパッと芝居を辞めました。
—— 挑戦したからこそ踏ん切りがついたのですね。
中田 そこからコージーコーナーに就職して4年やって、次に居酒屋に行って6年働いたんです。その後に工場で仕事をしたのですが、何にも面白くなかったんです。なので「もう部下もいないことだし、人生一回ぐらい好きなことをやってみよう」と思い、ムーディーズ友の会に応募してぶっかけモノに出てみたんです。
—— 憧れのAV現場はいかがでしたか?
中田 今でも忘れません。灘坂舞ちゃんっていう女優さんで、「うわぁ! ほんとにヤッてるんだ…」って感動しましたね!それで「君、出していいよ!」って言われた時は感激しちゃって、人生最高の興奮を覚えたんです。それ以降、毎月のようにこのぶっかけに応募して、つまらない日常の中で唯一の楽しみを見つけたんですよ。ずっと精子を溜め続けて、その撮影が待ち遠しくて仕方なくなって(笑)。
—— ぶっかけのために禁欲されていたのですね(笑)。
中田 朝一から5シーン撮影があるのですが、溜めに溜めた精子を全て出したかったので「全部のシーンに出させて下さい!」ってお願いして出させてもらっていたんです(笑)。その姿を見ていた智子プロデューサーからは「そこまで発射したいなら男優やったら?」って言われたりして。
—— 本中のプロデューサーの智子さんですか。ぶっかけに対する挑み方がガチ過ぎますもんね(笑)。
中田 でも歳も歳でしたし、カラミなんてできる自信がなかったので「いやいや僕なんて…。ぶっかけるだけで満足ですから。」って言ってたんです。もちろん男優になる気なんて全くなく、そこから色々なメーカーのぶっかけモノに応募して行っていたんですね。ターニングポイントは、BALTANさんに行った時でした。初めて大人数じゃなくて一対一の手コキとかフェラとか、足コキ、尻コキをやったんです。この現場が週に2~3回あって、毎回行くようになったんですね。
—— 工場で働きながらですよね。相当ハードだったんじゃないですか?
中田 工場で夜勤して、寝ずにそのままAVの現場に行っていましたね。ある日、BALTANで知り合った男優さんが急遽現場に行けなくなって、変わりに行ってくれないかとお願いされたんです。この日が男優として初めてギャラを貰った日になりました。
—— どんな現場だったのでしょうか?
中田 サディスティックヴィレッジさんで、監督はカジー風間さん。アナウンサーモノでドラマシーンもある作品でした。昔芝居をやっていた経験が活きて、8行ぐらいの長台詞をサクっと読んだら「君凄いね!」ってなったんです。
—— 周りの方はビックリしますよね。
中田 その日をきっかけに色々なメーカーさんから呼ばれるようになったんです。一現場7千円から1万円ぐらい貰えるようになったので、男優一本に絞ることにしたんですよ。気が付いたら男優になっていたんです。
—— 初めてのカラミはいつでしたか?
中田 フェラ男優として呼ばれていた、SODさんの王様ゲームシリーズの現場でした。「○○と中田がセックスする」という流れになって、急遽カラミをすることになったんです。
—— まさかの王様ゲームなんですね(笑)。
中田 そうなんです! しかも突発的に(笑)。でも僕は業界に入ったばかりだったので、40人ぐらいいたSOD女子社員を、女優さんじゃなく本当の社員だと思っていて。「おいおい…。みんなの前で脱ぐしチューするって、どんだけエロい人ばかりなんだよ…」って大興奮していました。
—— それはフル勃起が収まりませんね。
中田 それで難なくカラミができちゃったんです。後から知ったのですが、その時に絡んだ女優さんは前田陽菜ちゃんでした。
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以上、小劇団出身の演技派男優・中田一平さんのインタビュー前編でした!
本気でお芝居されていたのだから、そりゃ演技が上手いはずです! 皆さまにもぜひ、中田さんのドラマモノを見てほしいですね。
後編では、中田さんが出演されているオススメ作品を紹介します。ビックリするぐらい引き込んでくれるので、ガッチガチのフル勃起間違いなしですよ! 明日公開の後編をお楽しみに!
>>インタビュー後編は明日公開!!<<
・最も過酷だったのはスカトロ現場! 擬似の予定が、突如本番でホンモノが出てきたそうで…。
・尊敬する男優さんは!? あのレジェンド男優さんに「お前の精子がついたマンコに挿れるのは嫌だから俺より先に出すな!」と言われたそうです! それは、性欲を無くすために輪ゴムで金玉を縛った伝説を持つあの方!?
・売れっ子となった美谷朱里ちゃんとデビュー当初に共演した中田さん! 朱里ちゃんの真面目過ぎる行動とは!?
ぜひ、お楽しみに!
中田一平 @BAHHAIPPEI
AV男優。
男優歴14年。出演本数は約3,000本に及ぶ。
小劇団出身。出演作の8割がドラマモノであり、リアリティのある演技に定評がある。
リボルバー・ヘッド @RevolverHead01
ピン芸人。
代表ネタは、山田孝之演じる全裸監督の村西とおるのモノマネ。吉本若手マッチョ部としてクリスタルジムでパーソナルトレーナーも務める。
YouTube『リボルバーチャンネル』