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『葵つかささんのAV界における大物さや、メーカーの自信と覚悟までが伺える“ザッツ・ジャパニーズ・アダルトビデオ”』~伝説デザイナーのAVジャケット時評

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「ところで「局部や結合部にモザイクをかけて隠しながらも、その向こう側を暗に示す」というグレーゾーン的自主規制表現は、日本のアダルトビデオ発展の肝であったことは、いまさら言うまでもないことと思います。でも、性に目覚めたときから、間近にAVがあったような、現在35歳以下のAVファンにはピンとこないかもしれません。もし機会があったら、1980年代以前に製作された日本のポルノ映画をDVDやネット配信などを観て、その画面アングルや俳優たちのポーズの不自然さ、不自由さを確認してみてください。
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すこし解説しておきますと、モザイク表現が初めて劇映画に使われたのは、1973年公開の米SF映画『ウエストワールド』で、その中に登場するアンドロイドの電子的な主観映像として用いられました。日本では1980年放映のTV番組『クイズ ヒントでピント』で、モザイクをかけた有名人の顔を誰だか当てるクイズとして採用されたのが最初期のもので、「対象物を隠しながらも、見ようによっては解らなくもない」というその効能こそは、局部や性交をズバリ見せてはならない日本のポルノ表現にうってつけだったのです。

この画期的な電子技術をポルノに応用することによって、AV以前のポルノ映画で見られた不自由な性表現は、あっというまに時代遅れとなりました。

とはいえ、AV本編のモザイク隠しを、ジャケット写真にまで採用するには、さらに歳月がかかりました。なぜなら、ジャケットに使われる写真素材は、アナログ撮影によるポジフィルムだったからで、それをスキャニングして、コンピュータで加工するということは、1990年代までは、手間と予算の関係から、そうそう安易なことではなかったのです。

いまから21年前の1994年に、素人や人妻の企画ものをリリースしていた(今も健在な)マスカットというメーカーさんから、「デラべっぴんの企画ページやオナマイドのようなインパクトのあるジャケットを作ってくれ」と依頼された僕は、おそらく業界では初となる、表1写真で局部モザイク隠しを大々的に採用した『舌技の鉄人』という作品のジャケをデザインしました。無名女優数名の出演による企画ものでしたが、ジャケのえげつなさが営業的に功を奏したようで、作品は大売れし、その後も同社や関連会社からの依頼で、僕は類似したえげつないジャケットを数多くデザインしました。また、それに連動するように『デラべっぴん』のオナマイドでもすこしづつ、当局からのお咎めを受けないように注意しながらも、局部修正にモザイクを採用するようになったのです(それ以前は、のっぺりとした肌色か陰色にぼかした修正でした)。ちなみに、デラ本誌のオナマイドで初めてモザイクを採用したのは1995年1月号からでした。

僕がかつて作ったモザイク採用ジャケットは、ギョッとさせることを目的とした、下品さを全面にアピールしたものでしたが、エロ業界の幾多のデザイナーたちによる20年間にわたる切磋琢磨によって、ついに『最終連続絶頂アクメ 葵つかさ』という、芸術的到達点とでも呼びたい、気高い美をかねそなえた傑作が生まれました。

葵つかささんのAV界における大物さや、メーカーの自信と覚悟までが伺える、“ザッツ・ジャパニーズ・アダルトビデオ”とでも呼びたい、見事なジャケットです。

ほうとうひろし◎エロメディア活動歴28年のエディトリアル・デザイナー。
雑誌版オリジナルの『デラべっぴん』には、同誌創刊2年後の1988年ころから参画。
同誌名物となったエロ紙工作企画「オナマイド」を10年以上にわたって連載した。
「オナマイド」の連載を再構成した単行本は計4冊出版されたが、すべて絶版。
その企画の成り立ちや、当時の『デラべっぴん』編集部の事情に関しては、有野陽一氏の取
材によるインタビュー集『エロの「デザインの現場」』(アスペクト・刊)に詳しい。
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